第九話「面と怨」

 宰蔵の話、その二(後編ではない)。

 妖夷は必ずしも敵ならず、という構図の強調。くどいほど示されているように、この物語における妖夷とは「人の夢、想像力」そのものである。それが限度を越えて現実を否定し人に仇なすもの、すなわち「妄執」となったときに初めて、倒すべき敵となる、ということなのだ。

 あやしとは言ってみれば、夢と妄執の境界を守るものなのである。

 その守り手みずからが、妄執の側に取り込まれてしまった、というのが今回の物語なわけだが、その宰蔵のありきたりな過去とそこから生まれた歪みの絵解きは正直言ってあまり面白くない。脚本家の興味も、狐たちの芝居がかった台詞回しとか立ち居振る舞いにあるような気がする。今回ほのめかされた放火ネタは、その言葉通りの犯行の告白だとすると、あやしチーム二人目の殺人犯――しかも赤猫という、同レベルの重罪もプラス――ということになるわけで、するとやっぱり、たんに後ろめたさからくる比喩的表現――事故を自分の気持ちの反映と捕らえたパターンなのだろうか? どちらにしても、そのネタだけで残り三十分やるのはちょっとくる強いような気もしないでもない。
 
 しかし狐たちの交信の宇宙人みたいな音はどうでしょうか。あと、仮面がブクブクなったり、馬がうろこまみれになったり、グロシーンを他発させるのを真剣にやめることを検討してください、スタッフ様。前番組「ブラッドプラス」のソーンの描写もそうだが、この手の発疹・密集系のグロは、単なるゴア・スプラッタシーンより性質悪いのに、なにゆえこの枠では好んで放映するんだろうか。他のアニメだと、TOKYO TRIBE2のブッパの鼻ぐらいだぞ。
 え? 個人差だから、ご愁傷様? マイノリティーの問題を扱ったアニメでそういう言い訳だけ早めてほしい。だいたい猟奇グロだって個人差だー!

 ところで、アイキャッチのちびキャラたちがユキさんに戻ってしまったのにがっかり。ちび鳥井守が見たかったのに。