第二話まで

 〈これまでのあらすじ〉
第一話
「死んだらどーする!」と言って抵抗する間もなく死んで、しかし成仏するでもなく、中有の世界に迷いこんでしまった望。タイガー田中のまねをして「死んだらどーなる!」と叫んでみたが、ネタが古すぎて誰にも気づいてもらえない。そうこうしているうちに言語機能にトラブルのあるHMX−17型のメイドロボのような声でしゃべる涼宮ハルヒの双子の妹に「灰羽連盟」ならぬ「死ね死ね死ね団」(略してSSS団)に勧誘されるが、彼女の、スコープライフルで狙撃準備をしながら、意味のわからないことと、まったく面白くない冗談を延々とまくし立てるその姿に将来に対するぼんやりとした不安をおぼえて不参加を決め、狙撃対象の、仔猫っぽい妹と仔犬っぽい帰国子女フロムロシアウィズラブと綾波型宇宙人を足して四で割ったような、天使と呼称される生徒会長とおしゃべりするが、口の利きかたを間違えたために瞬殺されてしまう。しかし神の見えざる黄金の指によりあっさり蘇生。いつの間にかSSS団に加入したことになっていた。SSS団としての最初の任務はけいおんバンドがゲリラライブを行って生徒がそれに夢中になっているあいだに食券を平和的に巻き上げること。巨大扇風機を駆使すれば食券を文字どおり巻き上げられるという考え抜かれた計画だ。食券よりもまず女子生徒のスカートがめくれあがるんじゃないかという疑問がわくが気にしてはいけない。食事を始めてる学生はもう食券を持っていないのではないかという疑問もわくが気にしてはいけない。巻き上げた食券で300円の肉うどんを食すことそれが大切なのである。死人だって腹が減るのだ。せっかく巻き上げた食券を望以外はろくに拾ってないのも気にしてはいけない。しかし望は一向に死ぬ前のことが思い出せないのだった……。

第二話
SSS団として団員とともに学園の地下深くにある工場を目指す音無望。ルーカス&スピルバーグや、SF作家でもなければアカデミー賞にも縁のないポール・アンダーソンが考えそうなトラップの数々に美しき獲物たちは次々と脱落(即死)、望と団長はどうにか生き残る。死ぬのは奴ら(だけ)だ。望が団長の体をよじ登るときはスカートぐらい引き摺り下ろしても罰は当たらないと思うがそこは上品なアニメであるのでお色気許可証は取り消されている。ようようのことで最深部にたどり着いたら、そこではすでに天使と呼称されていた使徒の猛攻が始まっておりしかも一連のトラップも何の意味もなかったことが判明。なんのための秘密基地なのかさっぱりわからなくなってきたので撤収を決定。だってあらゆる器材は、心で思い描きさえすれば人はどこでだって物を作れるんですもの。じゃあ工場いらないじゃん、という視聴者の突込みを予期してか、工場を作っておけば効率がいいと苦しい言い訳。そうかなるほど工場やそのシステムを脳裏に思い描け、化学工学に堪能な高校生がいるのだな、と納得するが、団長の、どこまで本当かよくわからない過去の奇怪な話が気になって……。


というふうにまとめてみると、かえって話がよくわからなくなってしまう、麻枝准のオリジナル脚本によるオリジナルアニメで、監督は『瀬戸の花嫁』の岸誠二。KeyのゲームはじつはAIRの最初のほうとリトルバスターズぐらいしかやったことがなく、カノンもクラナドもアニメでしか知らないので、このカリスマ的な人気のあるライターの魅力をいまひとつ理解しきれていないのだが、ギャグというより内輪受けっぽいじゃれあいの描写が好きらしいのと、家族(ないし擬似家族)が大好きらしいのと、人がなんだかわからない病気で死んだり死にかけたりしてなんだかわからない奇跡で蘇って、観客大感動というパターンがとても大好きらしいことは、大体理解できている。あ、鳥の歌は普通にいい曲だと思うので、作曲家としての魅力も理解できているかもしれない。ともあれ、本作では、家族ないし擬似家族はともかくとして、内輪のじゃれあい的なやりとりは健在で、死にまつわる感動劇もゆりの過去の描き方からして、今後もなにかと出てくる可能性が高い……というわけで、麻枝ブランドのファンには文句のない出来なのかもしれない。Liaのオープニング曲も多田葵が歌うエンディング曲も結構いい曲だし(前者はいささかパターン化された曲と言う印象だが)。
 まあそれは言い方を変えれば、ファン以外にはどうにも理解しがたい世界ということでもある。

もちろん、まだ第二話ということで、これからどんどん違う要素が出てくる可能性もないでもない。とくに、中有の世界(仮称)のシステムをゲームに比してるあたりから、単純にこの世界内での戦争ごっこで終始する展開になるのではなく、望の記憶と絡んで、より世界の上位の構造をめぐる話になっていくのだろうという予感はあって(どう考えても死人の数が少なすぎるし、意識的に集められているとしか思えない)、そこでどういうツイストを利かせられるかで本作の真価は定まるのだろう。つまり、望の単なる臨死体験でした、みたいな安易な「生と死と運命」の物語にしてしまうか、もっと想像力を駆使した見たこともない話にするか、という。もっとも、ゆりの神がらみのおしゃべりからすると前者の可能性が高い気もするけど……。
 個人的には、新機軸を目指さなくても二話目の前半のような、死をおもちゃにしたシックジョーク路線――死んでもしばらく死んでいればまた蘇ることへの冷静な対応振りは『2000人の狂人』(現在は『マニアック2000』だったかな)を萌えアニメ的に再構成したかのようだ――は嫌いじゃなくて、それで突き進むのも結構面白いような気もしている。そういう意味では、せっかく軽くした「死」を後半の回想でまた重いものに引き戻してしまった悪しきバランス感覚にはがっかりされられたのもまた事実。どうせならいかなる死をも笑い飛ばすほどの開き直りを見せてもらいたい。それぐらいやってこそ「神への反逆」なる大言壮語に意味が生まれてくるのではないだろうか。

 それにしてもゆりを演ずる櫻井浩美だがシルファさんやってたときから毎度毎度川澄綾子と間違えてしまう。絶望した! 駄目なダメ絶対音感絶望した!