最終話まで

えーと、第二期決定おめでとうございます。また再び「バカ」たちに会えるかと思うといまから楽しみでなりません……と言いたいような言いたくないような微妙な気持ちになるところが難しい作品である。

もう少し丁寧に書くと、このアニメの場合、非常に好みな部分と大嫌いな部分と別にそうでもない部分とが綺麗に分かれているからで、それは面白いことに、バカとテストと召喚獣というタイトルにぴったり呼応しているのである。
 バカ、つまりキャラクターのことですね。大島美和のキャラクターデザインはりぜるまいんのころから好きなのだが、近年のでは一番よいと思う。
 テスト、つまり学園ラブコメものという枠組みですね。これはまあ主人公たちの年齢と環境の設定上、あっても当然のものなので、賛否をいうものでもないでしょう。
 召喚獣、これが問題なのである。より具体的には、試験召還獣戦争という本作のある意味肝のような設定、これこそが、むしろ本作における癌なのではないかと思うのである。

このシリーズを見ていて脳裏に合ったのはいつもこの三つのフレーズだった。心のベストヒット、ナンバースリーはいつもこの曲たちだった。

Bring the noise
Don’t believe the hype
そして
Fight the power

問題:上記の三つのフレーズから連想されるグループを答えなさい。


ようするにそういうことである。公共の敵ナンバーワン。
この精神がこの作品には欠けてると思うのである。

これはないものねだりではない。
よいかな。
学力を重視する学校におけるバカとはつまりノイズなわけである。
作中で時折言われる「学力だけがすべてじゃない」とはつまり「外面を信じるな」というメッセージでもある。
とくれば、主人公のやるべきことはただひとつではないだろうか。
そう「Fight the power!」(ぴんと来ない人はグレンラガンの同名曲もテーマ的には似ているので、そちらを連想してくれてもいい)。ここで言うパワーすなわち権力とはようするに学園のシステム、成績によって生活格差と作るとか召喚獣戦争で勝てば備品を総とっかえできるとか、そういう差別助長システムのことで、これを破壊しなければなんのための「バカ」であろう。
……と思うのだが、作中のキャラたちはあろうことか、試験に勝つために学力を上げたりするわけである。学力だけがすべてじゃないと思うのならば、学力で勝とうとするんじゃない! このバカ! といいたくなるわけである。ああそうか、バカだからそういう矛盾に気づかないのか。つまりバカはそうやって権力者(自分の車でアクセサリーを踏み壊しておいて謝ることも出来ない人間的にアウトな校長とか)にいいように使われて一生を終えるわけですね。バカは死ななきゃ直らない、と。

などなど本筋にかかわる部分では、呪詛の種には尽きないうえ、キャラクターにしてもどれどれもこれも性格的にステロタイプに過ぎるので、キャラクタードラマとして(つまり学園ラブコメ)としても平凡な出来になってしまう。ありがちなキャラがありがちなカップリングでありがちなコメディを演じたら、大体、ありがちなラブコメになるのである。ただし、作画は大体安定していたし、テンポも悪くなかったので(パロディは時々、あるいは頻繁に、くどかったのでいまいちだったけど)、見ていて退屈もしなかったのも事実。平凡でもキャラ(の見た目)がかわいいからいいじゃん、というのは一つの見方ではある。大沼心の演出も『ef』のころよりも才に走り過ぎないバランスが出てきているように思うし。

しかしそれでも第二期はちょっと不安なのである。もちろんキャラクターデザインなんかが変るわけではないだろうから、その点では思いっきり楽しみなのであるけれど、第一期最終回での校長の「この学校がなぜ存在するのか」云々がひっかかるのだ。まさか最終回付近でのバカたちのバカな行動を肯定するための台詞ではあるまい。バカを否定するシステムがバカのために存在するとしたらそれは自己矛盾でしかないからだ。まあ学校自体がバカというオチだとしたらまたはなしは別だけど、たぶんは第二期用の布石でもあるのだろう。つまり、本作で一番駄目な本筋が本筋になるのではあるまいか、ということである(バカな表現で申し訳ない)。その路線でも、どうせ学園のシステムをめぐってのファイトザパワー展開になるわけでもないだろうから、結局主人公たちが学園のシステムにのっとって召喚獣戦争を繰り広げるというバカな展開になるはずで、つまりは最悪である。
 ありそうで、なおかつ内容に(あるいは無内容に)期待できるラインはラブコメ主体の路線だが、個人的にはラジオの路線でやって欲しいところ、まあ無理だろうけど……。