第二話まで

 『けいおん!』の続編。このタイトルは『しゅごキャラ!』と『しゅごキャラ!!どきっ』のときみたいに『けいおん!』に付属的な意味で!がついたもの(つまり、第二期であるという表示)と見るべきなのか、『けいおん!!』という新作であって単に時系列的に『けいおん!』の後続である作品と見るべきなのか……。
 などという考察はたぶん誰にもどうでもいいことなのだろうからやめにして、『けいおん!!』について書くにはまず『けいおん!』について書いておかないとならないだろう。

 簡単に言ってしまうとようするに『あずまんが大王』あたりからある「萌えキャラをただ観察するだけ」のアニメの極北というか最新型なわけである。潔いくらいに新味はない。
 製作が京都アニメーションということでついつい同スタジオらしい半端なこだわりが半端な出来につながる自爆路線に向かいそうで、実際そういうところも無きにしも非ずなのだけど、本作が意外に悪くない。少なくても『ハルヒ』よりも『らきすた』よりも『少女が空を見つめると空も少女を見つめ返す』みたいなタイトルの作品よりも好感が持てる作品だった。正直、好感を持った自分が意外だったりしたのだが、なぜだろうと考えてみると、これはたぶん、やりすぎてないこと、そしてやるべきことはやれている、の二点(ごく当たり前のことなのだが)に尽きるのだろうと思う。
 確かにいろいろといい加減な話ではある。
以前も触れたように、素人が最初に買うものとしては高価すぎるギター(挫折した場合はどうするのか)とかオーディオマニアでもない高校生が買うには高価すぎるヘッドフォンとかやたらと高そうなティーセットとかバックにメーカーがついてるのかと思うような安易な実在のものの引用があるくせに、肝心の音楽関係になると一話目でギタリストが三人でてきた以外はほぼ話題皆無で、軽音部なのに部員がどんな軽音に興味があるかもわからない。演奏を聴いてもルーツも志向もさっぱりわからない。唯一音楽的嗜好がわかりそうな梓にしても、「ジャズをやっていた両親の影響でギターを始めた」「ジャズ研のは本物のジャズじゃない」などというわりには、彼女がギターを弾いて見せる場面のイメージ画像はジャズとはあまり関係がない人々にしか似ていないうえに、演奏も全然ジャズとは無縁だったりする(ああいうところでジャズの大御所もどきの画像を使って演奏もそれっぽくするとかすればいわゆる「通も唸る」的なものになるのだろうが、そこは半端で鳴るところである)。
 小道具面を抜きにしても軽音部である必然性が同系統のひだまりスケッチやスケッチブックといった美術部ものに比べても圧倒的に薄いし、それどころかライブシーンでPVもどきを入れるとかむしろ積極的に軽音部であることを隠蔽しようとしてるのではないかとすら思える。
 それどころかおそらくは眼目である、ティータイムや別荘の話にしても、雰囲気自体は悪くなくても、

「ようするに金持ちにタカってるだけではないのか、この人たち」

という疑問が脳裏を離れないのも事実ではあるのだ。

 しかしだ、しかしである。

「なんだかすごくたのしそうでした」

という唯の台詞にちゃんと内実を与えられていること。これが大きい。演奏する楽しさ、とか、音楽をやること自体の楽しさ、とかそういう具体的なものは提示できてはいないにしても、ともかく「なんだかすごく楽しそう」という気持ち、それ自体は視聴者にちゃんと手渡せているように思うのだ。それは基本じゃないかという声もあるだろうが、基本ができてない作品が意外に多いのである。しかもこれは結構手順を踏んで作られている。
けいおん!』第一話の冒頭部、唯の初登校の場面を思い出していただきたいのだが、これが意外なぐらい技巧的なつくりで、いわゆる「ドジッ子」キャラのどたばたシーンのようでいて、それ以外の唯の性格(困っている人がいたら看過できない、とか)もきちんと見せることが出来ている。このさりげない下積みがあるから上記の台詞が素直な感想として聞こえてくるわけである。
 またこの台詞はシリーズ全体のトーン決定の役割も果たしていて、特にそういう台詞がなくても、そういう気分だけは消えないように作品は全力で構築されているのだ。これはつまり「とりあえず楽しそうでない要素はできるだけ省く」という、セコい技も多用している、ということでもあるけれど、逆に言えばそれだけ主題を守り抜こうという意思と実行力があるということでもあって、そういう努力があるからこそ、たとえば合宿の話での花火をバックにギターを引くシークエンスであるとか、クリスマスから正月の回の後半のひたすらだらだらしたノリとか、そういったものが大きな力を持ってくるのである。多少不自然だとか中身がないとか、律がたまにうざいとか、さわ子先生が大体うざいとか、いろいろ文句はあっても、「楽しそう」ではあるし、となるわけだ。登場するリアルな楽器がキャラクターアイテム的な感覚で買われたのも、いわゆるキャラグッズがそうであるような、フィクションにリアリティを醸し出すために使われたリアルな存在を手に入れる、のではなく、すでにリアリティのあるフィクションの風景の一部としてあるものでリアル「にも」存在しているものを手に入れる、というある種倒錯的な感覚であったのではあるまいか。現実にあるものが、むしろフィクションのレプリカなのだ。つまり、そういうものを買い集めたひとにとっては、これはそれだけ居心地のいいフィクション空間を作り上げられていた、ということなのではないだろうか。作り手がそこまで考えていたかどうかは別として、だ。

 思いのほか長くなってしまったが、そんな、意図した要素と(おそらく)意図せざる要素の絡み合ったところから生まれた大人気作の続編であるから、制作陣のプレッシャーたるやかなりものだったのではなかろうか……と冒頭の、BGM的に使われるギター演奏とか、最初、わざとらしく唯の顔をちゃんと見せないでいて、その後あっさり普通に見せだすあたりの不徹底ぶりとか、悪い意味で京都アニメーションっぽい半端に気取った演出をみて、思っていたりしたのだが、OP曲でのけぞった。なんですかこの、川本真琴が初期XTCに乱入したかのようなパンキッシュでカオティックなサウンドは。唯の掛け声の入れるタイミングも絶妙の気持ち悪さで素晴らしい。本編も動きが微妙に前よりぐにゃぐにゃした感じになっており、なるほど今度のテーマは「ふかいかん!」か! とか思ったりもしたのだが、いくらみても軽音部に新入部員がやって来ない理由が出てこない第一話終盤を見るにつけ、おそらく理由はもっとシンプルなもの、つまり「いいかげん!」のせいだったのではないかと思うようになりました。もちろん、前作にだってこれはあったのだけど、致命的なところには侵食していなかった(だからこその成功だったともいえる)。今回はそれがちょっと微妙なのである。
 この新入部員の問題、基本的に現部員五人の話である以上、しばらくは新キャラを増やせないという制作レベルの問題ではあるのだけど、同時に、物語レベルでしっかり合理化しておかないといけない(ギャグでごまかすと今後の展開すべての土台がゆるいままになってしまう)ことでもあるから、原作者を引っ張り出してでも上手い理由づけをしておかないとまずいことのはずだが、そこをあいまいにして乗り切ってしまおうというのは、期間の短さか人気ゆえの慢心か作り手の迂闊かはわからないが、 なんにせよ、お家芸なところ(つまりこのメーカーが普通にできるところ)はこれ見よがしにやるが、努力を要するところはぶっ飛ばすという、いい加減さがこういう結果を生んだのではないかというわけである。どう聞いても「放課後ティータイム」が演奏するとは思えない楽曲をOPに採用してしまうセンスからもその「いい加減」感はあふれている気がする。

 そのノリがさらに加速したのが第二話で、メインのギターがらみの話とかはまあいいわけです、唯たちと違ってそれなりに楽器の知識も音楽の知識もあるはずの先生がギターの価値を知らないというのはどうなんだとか、セレブの沢庵眉毛のひとが49万ゲットだぜ!のときに乗ってしまうのはキャラとしてはどうなのか(あんなにノリのいいキャラだったっけ?)とか、いい加減ではあるけれどギャグの範疇としてなんとかごまかせるようなネタは、まあ百歩ぐらい譲れば良しとできる。
でも・デモ・DEMO、亀はダメだろ!
 生き物を、玩具感覚で買うのはギャグとしてもアウトでございます、いくらなんでも。

学校全体、あるいは永続性のある部活や組織で飼うならともかく、数年の存続も危うい部活で動物を飼うのはどう考えてもまずいだろう。まさか『Angel Beats!』みたいにシックジョーク路線を歩むつもりなのか? 
だいたい亀って、餌やったり、水変えたり、水槽洗ったり、けっこう世話が大変なんだぞー。部員が五人いるときはまだしも、梓独りになったらどうするつもりなのか(まあ、憂とジャズ研に言った友達が加入する展開とかはありそうだとしても)。しかも亀って長生きなんだぞー。十年とか二十年とか生きる品種もいるんだぞー。ものによっては甲羅のサイズが三十センチ超えるぐらいに育つのもいるんだぞー(そうなる当然水槽も替えないとならない)。さすがにギターなんかのように、まねして亀を飼いだすファンはいないだろうが、もし居たらいろいろ調べてから考えてくださいね。

というリアルな問題もあるけれど、リアリティの面でもやっぱり無理がありすぎる。梓がどう言おうと、梓と部活の事を考えたら、やるべきことは新入部員探ししかないはずで、それはようするに第一話で入部希望者が来なかった理由をごまかしたことのツケがもうすでにきているわけである。理由が明らかなら、それを克服しる展開で時間を稼ぐ方向や、あきらめて開き直り五人でやっていく展開も可能だが、それがないために、なんとなく新入部員を探していないとならない。でも対処法も出せないわけである。
 そのうえ今回亀を出してしまったことで、なし崩しに部員探しをなかったことにするということをやろうとしても、亀がいる限りそのことは「現実」として残ってしまう。泥亀ならぬ、泥沼である。
 荒療治としては平沢家で引き取る的な強制退場(部室からの)だけどこれだとわざわざ部費で飼った意味がないという、どっちに行ってもアウトな道筋なのだった。変化への夢はキャンバスにゆだねられ、囲いの中ですごんでいるだけ? あんたのことだよ。余所見すんな長髪。

 ようするにこの『けいおん!!』、前作もいい加減だったが今度のいい加減はいささかちょっと危険かな?という話。

そういう波乱含みの第二部、どうやら二クールあるらしいから、あるいは時間をかけて軌道修正してくのか、あるいはそのままどんどん道をそれて変化への夢を見せていくつもりなのか……。予断を許しません。まさかけいおんがこんなサスペンスを孕もうとは思っても見なかった。

まあ、豊崎愛生のあのスライムのいびきのような不思議な声(褒めてます。念のため)みたいに、ふにゃーっとした気持ちで見守っていくほうがよいのかもしれないですが。

あとこれは個人的な好みの話。今回は最初から16:9の放映だが、実は最初のTBS放映時の4:3にトリミングされてた奴のほうが、このシリーズのそこはかとないレトロ臭にあっていたような気がする。
アイキャッチなどで出てくるカセットテープなんかは今でも現行でも使われているとはいえ、さわ子先生が二十台だとしたらデモテープはMDを使うのが流行ってた時期だったはずで、それより下の世代だと見たこともない人もいるぐらいである(今回のは特にそうだ)し、唯の私服とかどこの昭和の中学生かという感じだ。エンディングの衣装とかも思いっきり八十年代テイストである。当時のちょいゴスでガールズバンドというとゼルダあたりですかね。あんまり詳しくないけど。
にしても相変わらずメンバーの音楽的背景がまったくうかがえない音楽ではある。わざとやってるのだろうか。