第三話「My Song」

〜今回のあらすじ〜
SSS団作戦会議に参加する望。陽動作戦という言葉には疑問を持つが、そもそも天使との戦いというSSS団の根本的な目的には何の疑問も抱かずうけいれる。だってアホだから。いくら陽動だといっても告知なんか事前に阻止されるだろうと普通の人なら考えるのだがSSS団は誰も疑問に思わない。だってアホだから。団長の過去回想に出てきたような気がする髪型(色は違うようだ)の生き物がギャルゲーの説明イベントのような長台詞を展開するが望もすっかりなれている。だってアホだから。
かくして女子寮の天使の個室侵入作戦に参加する望。作戦の性質からして、陽動によって女子寮の全寮生を退去させる必然性はなく、バンドにライブをさせることが目的のようにしか思えない作戦だがみんな素直に受け入れる。だってアホだから。毎度毎度バンドを陽動に使っているSSS団の行動パターンを、天使サイドが学習して対応策を考えてきている可能性を誰も指摘しないのはアホだからではなくて、天使サイドもアホだから問題ないのであった。「アホ、天に知ろしめす。なべて世はこともなし」
そうこうするうちにバンド演奏が始まる。設置にすごい手間の掛かりそうなセットを組んでいるがその辺の土くれからパパっと作り上げたに違いない。ともかく沢城みゆきのちょっとクリッシーハインドを思わせるハスキーな歌声に、「軽音サイコー」と叫ぶ観客たち。
演奏が何曲も終わってから現れる教師たち。だってアホだから。そんな教師たちに反抗する奴がいる。「NPCにだって生きがいがある」とチャップリンのような自己主張をする奴もいる。こいつら本当にNPCかと思う奴もいる。大声を出し暴れようとする奴もいる。暴れる奴らのために歌を歌おう。プラグレスのアコースティックギターをかき鳴らしマイクも使わずに歌おう。体育館で夜は更けて白い光のなかでほほえみかける。沢城みゆきが文字どおり絶唱。冷静に考えると、マイクもアンプも通していないのだから、ミキシングボードをいじっても放送システムをいじっても歌は体育館より外には届かないはずだが、そこは天の配剤である。理由は神のみぞ知る。沢城みゆき、「幸せだなあ」と若大将の気分で、昇天。しかし副音声で、「せっかくキャラが立ったのにひどいにゅ」いう声を幻聴する視聴者も多数いたとかいないとか。
そして再び皆で集合。「神がいるなら、天使は神から力を分け与えてもらっているはず。天使が神から力を分け与えてもらっていないのなら、神などいないのではないか?」などと推測に過ぎない事項を前提として推論をかさね、モース警部というよりはドーヴァー警部的な推測を立てる団長。天使だからといって神の力を与えられるとは限らないが(「たとえば、二級天使だと翼すら生えていない」とジェームズ・スチュアートは言ったとか言わないとか)、そもそも生徒会長が天使だという根拠もよくわからないのだから、どこから突っ込みを入れていいのか分からない。
 そんなことより望が不安に思うのは、昇天のルールなんかよりも
「もしかして俺は毎回ヒロインたちの暗い過去を聞かされ続ける運命なのだろうか……」



 というかですね、三話目にして、死とか病気とか家族とか奇跡とか昇天とか野球(これは予告分だが)とか寒いギャグとかの麻枝准の得意技(とおぼしきもの)があらかた出てきてしまっているのが視聴者的にはもっとも不安なところで、これは好意的に考えれば後半は新技の連打という流れにもっていくための過去の得意技の放出と考えることも可能だが、状況と戦わないと昇天で「負け」、戦いきって満足しても昇天だからやっぱり「負け」、かといって中有の世界に居続けをすること自体は「勝ちではない」となると一体なにをすると「勝ち」になるのかまったくわからないわけで、謎に謎をうわのせしてくような状況をどう打開するかもまったく見えないなか、そんな期待ができるのかどうか。ツインピークスエヴァンゲリオンのようにともかく自体を複雑化させて視聴者に休む暇を与えず、あとは演出力とキャラの個性でラストまで乗り切り、あとはぶん投げて一目散に遁走、という力技ができるような作り手ではない気がするし、本格ミステリ的に謎を全回収するタイプでもない気がする。ではどういう道があるかというと、あれ? 「感動」でなあなあにしてごまかすパターンしかないような?
もちろん、まだまだ話数はあるのだから最終回に期待するのは早すぎるのだが……。