第三話まで

アニメノチカラ」第二弾。ざっくり言ってしまうと戦前の上海が舞台の『DARKER THAN BLACK』。もちろんパクリとかそういう話ではないのだが、いわゆる能力者ものでエージェントものという設定かぶりだけでなくスタッフもかぶっているうえ、メインキャラの組織参加の動機が肉親の行方探しというプロット面までかぶってるせいで、既視感は強い。
 ついでにいうとドライというよりは無味乾燥といいたくなるような人間関係の希薄さもまた――脚本の大西信介がメインで関わる作品ではDTBにかぎらず――既視感ではある。

 たとえば第一話の能力を使う使わないの話とかがわかりやすいが、力を使うかどうかは、キャラクター描写においては、彼の、仲間への信頼や連帯感を象徴するような重要なイベントであるから、事件を解決していく過程で「できるだけ力を使わない」という信条を提示したのちに、徐々に変化させていけばいいものを、台詞で今までのあらすじ、でも語るかのごとく全部説明したうえ、その話のなかで「使わない」から「使った」にいってしまうから、何のカタルシスもないし、人物描写にもなりゃしない。もしかすると、ことさらウェットな展開を嫌っていて、徹底的に突き放した話をしたいのかなとも思うけど、だったら説明台詞自体もっと減らせるだろう。なにか勘違いしている可能性が大である。それも長いあいだ(それこそイノセントヴィーナスあたりからずっと)。
 メインキャラ以外も結構難しい。甘粕機関を思わせる架空の組織の設定はともかく、それを操る甘粕的キャラクターをどう描くべきか誰もわかっていないのではあるまいか。DTBの連絡係はわかりやすい露悪的なキャラに設定されていて、そういう明確なキャラづけが為されていたから、その背後事情が見えてきたときに、ドラマチックな展開が可能になったのだけど、この甘粕もどきのおじさんは007のMより個性がないから、彼と対立したり、反目しあったりするであろう後半への布石にもなりえていない。

 もっともこれは、企画全体の「歴史的なことについての再解釈をするものではない」みたいな絶望的にチキンなコンセプトによる縛りがあるのかもしれない。甘粕ではないにせよ、甘粕的なキャラクターを強烈にキャラ付けすると、どこかからうるさく声が上がるのではあるまいか、という非実在青少年問題が本格的になったら必ず巻き起こるであろう「自主規制の嵐」の前哨戦的な感覚である。歴史の裏側で蠢いていた者たち、ネタだったら再解釈、捏造、曲解は当たり前、というか、いかに上手く再解釈をするかが肝だろうに。

 というか、そんな変な気をつかうのだったらハナからぎりぎりなネタをやらなければいいじゃん、と思わないのでもないのだけど、魔都上海、だとか、多国籍な台詞の乱舞、だとか、そういう悪い意味でのスタイリッシュさが企画上では大きな魅力だったのだろうな、というのはまあわからないでもない。魔都上海はあんまり魔都っぽくないし、多言語は、声優さんが発音を正確にしようといっぱいいっぱいなのが聞いててわかるぐらいの残念ぶりではあるけれど、上手くいけばけっこう格好良かったのではないかなと思えるぐらいの片鱗は伺えないこともない。ヒロインは声優さんの演技が日本語でも残念なことを除けば、なかなかかわいいし。
 ただし、やっぱりそういう見た目のかっこよさを面白さとして維持するには、ドラマ的な中身を伴わないと、難しいのではなかろうか。あと十話ぐらいでどれくらいドラマ的にキャラクターを深められるかが、ポイントとなる気がする(そしてそれはなかなか難しい気もする)。
ねがわくば、前アニメノチカラ作品と同じ轍を踏みませんように。