第三話「ドラマー!」

「おまえらロックの話をしろよ!」と、と或るへヴィメタル命のギタリストに一括されたのか、あるいはこのブログの前回の記述(メンバーの音楽的背景がわからない)が時空を越えて過去の製作者に届いたのか、理由はわからないが、軽音楽について熱く語りだして、よりいっそう軽音楽部らしくなくなった第三話。
 どうしてそういうことになってしまうと理由は簡単で、殺人事件の容疑者が聞かれもしないのに「ああその日の何時何分はアリバイがありますよ、だれそれさんの家でこんなことをしていて、写真なんかも撮ってまして、撮影日時の記録もありますし、そのうえ、ほらここに時計が写ってるでしょう?」とか言い出したら、むしろそいつは犯人以外の何者でもない(ようにみえる)、というのと同じである。それまで亀の話なんかしたこともない紬の家にマニアックな亀がたくさんいることになるのもまあ、同じである(紬の眉毛はたくあんではなくて、四次元ポケットなのではなかろうか)。
大体、ザ・フーが好きなんだったら、第一話の唯の腕回しのときにまず「てゆーかピートタウンゼント?」等のつっこみが入っているはずだろう。てゆーか、第三話でこの話を入れる予定があるなら、一話の段階でなぜそういう前振りをしておかないのだろうか? 二話で登場した亀の飼い方の面倒さを三話でフォローするところもそうだが、構成脚本が同一人であるにもかかわらず、まるで自転車操業の連載漫画が後付けに後付けを重ねていくような段取りのわるさは『ガンダム00』へのオマージュだというのならばともかく、一般にはあまり効果的なやりかたとはいえないような気がする。
 律のドラムスタイルがキース・ムーンとなんの関連も見えないとかはまあ、そういう構成の下手さに比べればたいした問題ではないだろう(フーが洋楽ファン以外にはほとんど知られていないリアルな日本の現状からくるリアリティのなさも、まあたいして重要ではない。澪経由で教わったのだろうが、そもそも澪が洋楽マニアには見えないというのも、まあたいして重要ではない)

 大筋としては、律のドラム以外の楽器をやってみたいというのと端緒にメンバーのそれぞれの楽器間、特に澪と律の関係性を描くのが目的だったのだろうけど、とっかかりが嘘っぽいと(つまりリアリティが弱いと)澪のこれまた唐突なベース観とかも含めて、付焼刃臭ばかりが気になってしまう。仮に最初から設定してあったことでも、である。だから、音楽観とはまったく関係のない、唯の「演奏中のコミュニケーション」の解決策とかは、いい意味で素晴らしくくだらなくて、その効果を失っていないのだ。むしろ、わざわざ固有名詞なんか出さなくても、そっち方面だけで、つまり軽音楽的知識抜きで、コント的な試行錯誤を並べたほうが、この作品的なリアリティは増していたのではなかろうか。前回書いたように、この作品におけるリアルの文物の使用は作品の虚構性を強めることに貢献しこそはすれ、作品のリアリティの補強には貢献していないからだ。だってほら、部活でお茶するために、ベルギー王室が使ってるのと同じティーセットを持ってくるような人間が存在するリアルはないわけである。同じように、「本当に音楽が好きです」の演出に「本当のミュージシャン」を出しても、すくなくてもこの作品の場合はリアリティをかもし出すのに効果を持たないのである。
 にしてもなんでザ・フーなんだろう。

澪「キース・ムーン云々」
唯「誰(WHO)?」

っていう親父ギャグをやりたかっただけなんだろうか。
それともたんに紬ボーカルの新曲シングルのカップリングに「マイ・ジェネレイション」の放課後ティータイムカバーバージョンを出すための前ふりだったりして(仮にやるなら、えーと、パティスミスバージョンでお願いします)。

さて次回は修学旅行(春にやる学校って設定?)だが、以後「ギタリスト!」とか「ベーシスト!」みたいなメンバーのルーツ探訪シリーズはあるのだろうか? そのたびに洋楽の往年のミュージシャンが実名で紹介され、濃いけいおんファンがCDを買いに走る……という通販番組的展開を、期待したりしなかったり。