第五話「タダイマ」

 前回に引き続きハートウォーミング志向。もちろん志向したというのと、それが実際にハートウォーミングであったかは別問題である。というか、ぜんぜんハートウォーミングじゃねえ。
 どういう話かというと、猫好きの老夫婦がほぼ同じタイミングで亡くなって、同じタイミングでシゴフミ抽選に受かり、同じものをシゴフミとして送り、そのうえ宛先の猫が、一方が死んでから程なく電車で二時間の距離に移動していたという、確率を操作しているやつがいないとありえないような「いい話」である。O・ヘンリーみたいな善意尽くめの話を意図したのだろうけど、「主人公」の猫が、電車で二時間という距離を含むものすごい縄張りを有しており、さらには、「猫は家につく」という、いまとなってはあまり支持されてない行動理論に基づいて動いているうえ(人につく猫も多いのだ)、そもそも、死んだあとも猫のことを気にするような人たちが、猫が後足で立ち、前足を手のように使いこなせると想定しなければ絶対送ろうとは考えないであろう、家の扉の鍵を「シゴフミ」に選んだのか、という、根本的な欠陥についても考えが及んでないあたり(隣近所の知り合いに猫の世話を頼むほうが普通の「シゴフミ」だろうよ)、とりあえず、いい話っぽくして、フミカとチアキに萌え漫才をやらしておけば受ける、という浅い計算が透けて見えて、むしろハートクーリング(というのか知らないけど)。大河内一楼は、コードギアスでもコメディ回のネタに猫を使ってたし、ようするに、そういうことなんだろう。まっことお安い箸休めでありますこと。

 フミカ関連は、進展すればするほど既視感が増してくるのですが、唯一、二十四時間テロと戦う男――あるいは、素顔のわからない記憶喪失の戦士(グインではない)、はたまた、横浜で走らぬ女子はいない手の速さを誇るヤンキー、あるいはさらに間合いのいらない剣法とつかう浪人――がやっている、美しく残酷な詩人の部分はすこし面白かった。以前書いたように最近ERの初期作を見ているので、あのロス先生タイプの女にだらしなさそうな役回りの小山力也がなんとかくうれしかったというだけ話ですが。