第二十話「鬼の祭り」

妹巫女と妹巫女の姉巫女の話の後編。釘宮理恵が二重唱するととんでもなく強い、という話。
 鬼の角をひとつしか折らなかったことが儀式失敗の要因と明らかなのに、暴走を始めた鬼の退治を始めたアストラルチームがまず最初に角を折らないのは、アディーの出番の確保のためなのだろうけど、素人の社長だけならともかく、猫屋敷とホナミがいる状態ではさすがに間抜けすぎる。作ってるほうもその辺は斟酌して、猫屋敷に角が力の源と知ってる旨を口走らせてはいるが、知っていてなおかつ攻撃しない理由が思いつかなかったのか、むしろ逆効果だったかもしれない。
 あとはあれですね、社長は邪眼をつかってあーだこーだ指図したり、「違うと思う」形のピュアボーイ台詞で存在感を示すより、もっと魔法に疎い人間らしい知略をふるってほしいところである。具体的には、儀式が失敗におわって、アストラルチームが介入するというところで、経営者らしい理屈をひねり出す、みたいな。いや、あくまで、お子様あたまの社長、が売りなのかな?
 そうそう、ばあちゃんが感慨深げに言っていたアストラルの特性に関しては、異なる系統の魔術の融合、なんて大仰なものじゃなくて、得意分野ごとに分業しているだけじゃん、と見えるのはこちらの魔法の知識が浅いからなんだろうか。