第六話「サケビ」

ザ・いじめ、という話。中学生日記金八先生あたりにでもありそうな一品である。いじめの手法や、いじめる側の言い分、あるいはネットの反応といった、ことの各部は、いかにも「ありそう」ではあるが、そういったもの羅列がリアリティに結実せず、ありがちを並べているだけ、に見えるのはある意味興味深い。わんこの授乳トラブルという自然現象といじめという社会的な(すなわち、著しく人工的な)現象とを一緒くたにしてしまうような安易な「世界観」で語りきれるような物語ではない、ということなのだろう。神は細部に宿るものだが、細部にだけ宿られても、あまり意味はないのである。
もっとも、その細部にしても、ワイドショーなんぞをリサーチしたような部分ではなく、物語のための段取りとして語り手が創造しなければならないようなところは、いかにもこの作品のシナリオライターらしく粗雑で適当なのだが。
たとえば、どこからどうやって手に入れて持ち込んだのかが謎な鉄骨(「苦労した」の台詞でごまかせるならシナリオライターはいらん)、それも、何日も屋上に放置されていたのでもない限り二回も持ち込んでるとか、いつかの恵みの雨と同じ「天の作為」が露骨なマイナスドライバーの出現とか、シゴフミの書き手が現世の様子をしばらく観測した上で手紙をしたためているっぽいとか、半端に投げる結末(含みを持たせてるつもりか?)とか、枚挙に暇がない。
そしてなんといっても、シゴフミがテーマの物語なのに、ストーリーの進行上はシゴフミはおろかフミカすら出てくる必要が皆無で、もはやフミカのエピソードをやるためにシゴフミがでてくる必要があるという、本末転倒もいいところな構成にシリーズ前半であるにもかかわらず、既になっているという、ありえないぐらいのメインコンセプトの脆弱さの露呈がかなしい。

 時にフミカさん、同族殺しは「人が壊れてるから」とか言ってませんでしたか? 


 おまけ。最後のニュースの引用で、被害者少年をFと表記されていたけど、加害者の表記がAであるから、あいだにB〜Eの四人がいることになり、トータル六人が事件に関わった勘定になるが、屋上にはフミカを含めたって五人しかいなかったよね?