第八話「Dancer in the Dark」

〜第八話「××ントの眠り」〜
   
思い出す。果たして天使の命運は。

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思い出す。仕組みもわかってないのにゆりっぺが適当に追加した天使のプログラム「absorb」が発動すると、複数作られた天使のコピーの要素が、すべて本体の天使に属性として「吸収」されるということらしい。ゆりっぺがプログラムの発動を十秒にしなければ、ゆっくり対応策も考えられた(怒りに我を忘れた王蟲モードの天使より多くまともな天使をハーモニクスして複製していけば赤い目のほうの意識を限りなくゼロに近づけることができる)のだが、どういう仕組みでどういう結果になるのかをゆりはまるでわかってなかったのだから、しかたない。

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思い出す。赤い目の天使とゆりの最終決戦は冷酷さのコンテストだった。弾丸を刀で弾き飛ばし岩をも砕く超音波と称されるソニックブームで相手を気絶させようとする少女、作戦の成功を勝ち誇り「おまえを蝋人形に、もとい、喉をかき切ってやろうかあ〜」と微笑む少女とではどっちが正義の味方かわからない。この世界に神の姿が見えないように、この世界には正しき「義」もないのだ。

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思い出す。小山ほどもある魚を釣り上げるほどの怪力の持ち主である生徒会長兼天使の複製品たちは、柔道の心得があれば押さえ込むことができる。合気道の心得のある生徒会長兼メイド様が柔道の心得のある悪のお金持ちに押さえ込まれてしまうようなものである。とくにSSS団の柔術は素晴らしい。死体になっても柔道の心得があれば天使を押さえ込み続けることができるほどである。SSS団団員は、一刺しされて死んでも、天使を放しませんでした。そういうものだ。
男ばかりの団なのに、天使を子孫繁栄的な意味で一刺ししてやろうと思った団員が一人もいないのは、彼らの紳士ぶりをよくしめしていて素晴らしい。ともあれどんどんキャラが死んでいくシックジョークのループは、この物語における死というものの重みをどんどん減らしていって、これは同時に生の重みも減らしていることになるのだが、こうやって、あらゆる重みから開放されていった果てにドラマは果たしてどうなるのか、興味深い。紙(神?)のように薄くなって、吹けば飛ぶような、そしてむこうが透けてみえるような、やすっぽいなにかになるのか、羽化登仙の境地に達して前人未到の世界を描くのか。

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思い出す。第二話でこういう展開、こういうギャグ、こういう状況を見たことがある。既視感ではなくて、意識的な堂々巡りである。
ちなみに、昔の偉い作家は書いている。「同じところをぐるぐる回っていると、次第に溝が深くなり、抜け出せなくなる」。

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思い出す。NPCの生徒たちに聞き込みをかけて目撃情報を総合すると、天使(オリジナル)の拉致先が、生徒たちがその存在を知るはずもないギルドの地下秘密基地の跡地だと推定できるらしく、当然次の作戦も決まる。ギルドの地下秘密基地への潜行作戦である。
 なお今回は陽動作戦はしない。もう充分シングルCDが売れたから、ではなくて、意味がないとゆりが判断したからである。では今まで意味があったのかと誰もが思うが黙っていることにする。

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思い出す。作戦会議で音無くんは自分のカナデへの愛情を執拗にアピールする。一方ピンクの髪の子は泌尿器系に異常があるらしい。

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思い出す。以前散々大騒ぎした天使の部屋に単身、あっさり入り込んで、データをあさるゆり。天使は「私たちと同じ」といっていたはずだが、その天使に取扱説明書が付属していたり、コンピューターで動作プログラムを打ち込めたりすることには何の疑問も抱かない。ということはつまり、おそらくゆりっぺたちにもマニュアルがあって、コンピューターでいろいろなことをプログラミングできるということなのだろう。だったら、音無君のコンピューターをいじって「ゆりを好きになる」と打ち込んでしまえばよい気もするのだが。

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思い出す。赤い目の冷酷な天使は音無くんのお友達の天使が巨大魚をさばく際に気合を入れたらつい出現してしまったものだったらしい。あの程度で分身してしまうのなら今までのSSS団との激闘の際にはもうたくさんハーモナイズされていたのではないかと思うのだが、よっぽど解体ショーに夢中になっていたのだろう。
また、生徒会長の任を解かれている状態で分身しているのだから、基本的な行動原理に「生徒会長としての責務を果たす」というのがあるのはおかしい気がするのだが、直井が言うようにバカの集団なので、誰もそのことには気づかない。

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思い出す。人が死なないから病院が存在ない世界でなぜかしっかり存在している保健室にSSS団は天使を担ぎこむ。相打ちならば赤目のほうは捕まえて拘束しておけばいいような気もするし、相打ちでないなら、活動が止まっていない赤目の猛攻をどうよけたのかわからないのだが、そのあたりの事情は誰も思い出せない。
天使はSSS団団員と同じく時間をおけば回復するとゆりはいうのだが、それにしては直りが遅い。そしてそのことに誰も疑問を持たない。

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思い出す。突然出現した赤い目の天使。夜遊びはまかりならんと言い立てて攻撃してくるのだがそんな高速があるとは一度も言わないところをみると、そんな校則は無いようである。つまりゆりが攻撃されている理由はほかにある可能性が高いが、やはり誰も思い出せない(もしくはゆりっぺが隠している)。
 そして、音無君に猛攻を仕掛ける赤目の天使と、料理の後片付けをしていた天使が激突する。
 果たして天使の命運は。

〜次回予告〜
大量生産された赤い目の分身を「absorb」により取り込んだ天使が目を覚ます。吸収した分身のぶんだけのたくさんの冷酷な精神、そして、たくさんの頭、たくさんの胴体、たくさんの手足を兼ね備えた合成怪獣のような恐ろしい自らの姿に、彼女は一体何を思うのか……?



というふうになるかどうかはともかくとして、前回ラストでのもう一人の天使の出現は、天使が天使でなくなったら(天使的な責務を果たさなくなったら)すぐに後任が現れるという、いかにもすべてをコントロールする上位システムの存在を証明するような状況――使徒や怪人が倒されたらまた新しい使徒や怪人がくるパターンですね――ではあったのだけど、今回それをあっさり否定して、単なる偶然の連鎖だったということにしてしまうビルドアンドスクラップ進行の手際のよさは、展開的に面白いかどうかはべつとして、冗談でも嫌味でもなく潔い。もっとも、一連の偶然としか思えない出来事は皆「運命」いう名の神(もしくは悪魔)のなせる業というオーメンもしくはファイナルディスティネーションスタイルでくる可能性も、1パーセントぐらいはあるかもしれないが。
 そうここまでくるとやはりこれは嫌味でもなんでもなく、意図的な破壊進行だと思うべきだろうと思う。
流石にもう三分の二近く話数を消化してきているわけで、序破急ならばクライマックス直前、起承転結で言っても、とっくに「起」「承」と世界観の提示は終了して「転」に差し掛かったあたりに相当するわけである。まさか、視聴者に尻尾をつかまれまいという意識だけで確定情報の提示を回避し続けているわけでもあるまい。

もしも完全に無計画でここまで来たとすると、それはそれでたいした胆力であるとはいえるだろう。いくら逃げても、放映の終了という行き止まりは必ず訪れて、そこでどうやっても視聴者に追いつかれてしまうわけだし、かのエヴァンゲリオンのように劇場版へオチを回避しても、おかげでむしろハードルが高くなって、結局劇場版でも完璧に視聴者を満足させたとはいえないような出来映えになり、十年経ってまた墓から引きずり出して作り直すようなことになってしまう可能性だってないわけではないのである(まあ、そこまでついてくる人がいれば、だけど)。
 とまあ、後代まで続くかもしれないリスクを考慮すると、いろいろ謎や矛盾はあっても、すべてをごまかせるぐらいの派手な悲劇と感動を大盤ぶるまいしてごまかしてしまえば、あるいはなんとかなりそうなきもしないでもないけれど、その点に関しては麻枝准の今回のやり方は非常に抜かりなく頼もしい。というのも、あれだけ死をギャグのネタにしてしまったら、お箸が転がっただけで泣けるぐらいの度量のある人でないと、「死」で涙を誘われることはないからだ。美しいエンディングのバラードすらもギャグのジングルにすぎない。ようするに麻枝准のメッセージはこういうことだ。「イシャはどこだ!」……じゃなくて「感動無用!」
 エンジェルビートとはつまり、オフビートなのだ。
 次回が楽しみである。これもまた嫌味ではない。フォーマではあるかもしれないが。