第十八話「偽りの傷、痛みは枯れて」

 直接対決の波紋。『なにがリョーコに起こったか?』という話。
 こわれたフォセッタさんがかつての活き活きとしたキャラクターを失っているのは、とても寂しい。と同時に上手いとも思う。安直ではあってもこうすることで人とAIの差別化が出来ている。

 リョーコは顔を見ただけで異常になっていることがわかるが、そんなことより、ミズキさん、『去年マリエンバートで』が好きなんてマニアックですね。確かに『市民ケーン』なんかと一緒で映画をちょっと真剣に見るようになった――ヒット作だけでなく古典もあさるようになった――中高生がかなり早い段階であたる映画ではあるし、ループと偽の記憶、夢をめぐる物語ということでの、チョイスなんだろうけど、ミズキって映画マニアだっけ? リョーコは見てる可能性は高いけどね。

 展開面では、リョーコの感情がないっていう異常自体はいいとして、「幻体バッファから感情領域だけが戻らない」とかは、説明すればするほど、無理が生じてきている気がしてならない。ていうかもうなんだかよくわかりません。
 とはいえ、感情のあるリョーコと感情のないリョーコを行き来して戸惑うキョウと強く現状を受け入れるリョーコの掛け合いは楽しい。やはりこのアニメはリョーコで持っている。お色気キャラとか萌えキャラ、ということでなく、彼女の聖母性(というのが極端すぎるなら、みんなのお母さんでもいい)みたいなものが、作品を支えているように思えるのだ。もう一人のヒロインシズノはむしろキョウと同じ位置にいる、「迷う子羊」であるしね。

 後半のキョウによる「本物か本物でないかそれが問題だ」展開は、じつは実体か幻体か、という問題なのだけど、そしてその点に関していえば、このアニメの設定(作中の技術レベル)では悩む必要ないことでもあるのだった。すでに書いた通り、実体がいいに決まっている。データの蓄積に制限があり定期的にリセットする世界など、ゲーム感覚で滞在する以上の価値はない。逆に言うなら、コスプレスペーストしては素晴らしい場所であるのかもしれないが。

 バトルは相変わらず軽いが、だいぶまえから気にならなくなってきたのは、作品におけるロボットバトルの優先順位がもうかなり下にあるからだろう。
 そういえばゼーガペイン自体は実体なわけで、ゼーガの化身と化しているリョーコはある意味実体化しているといえないこともないのかもしれない。

 なお本来の本物かどうか、という議論の答えだが実はこれもまた簡単なことだったりする。
 実体の(サーバーに入る前の)のキョウはもちろん「本物」であるが、幻体化してしばらくたち、当初より記憶が増えたキョウもまた「本物」である。それはいってみれば同じDNAから生成された別の個体、というようなものなので。

 次回予告は、なんか推理もののクライマックスみたいだなあ、誰が犯人かは来週まで引っ張るんだろうなあ、とか思って聞いていたらあっさり告発までやってしまったのであった。なぜ裏切ったか――あるいは裏切ってないとしたらどういう意図でのリークか――がポイントということですね。頼むから女の嫉妬とかそういうレベルの低いオチにいきませんように。

 そういえば、本編終盤の、(キョウとリョーコの希望と安息の象徴だった)百合が燃え上がりながら風に吹かれていくショットは、非常に不吉であると同時に、とても美しかった。