第十六話「復活の戦場」
リセット、そしてリョウコの残酷な復活。
なにかこう、面白いと言うのがはばかられる重さである。放映開始当初はこんなはなしになるとは思いもしなかったから、いい意味で、豪快な裏切り、といえるだろう。
前半はリセットがらみで、カウントダウンとリレーの記録カウントのシンクロは相当わざとらしいが、哀切な音楽と絡み合って、シリーズでも屈指の名場面になった。なんだかんだで記憶が残るキョウより、あと数分で記憶が消されることがわかっているトミガイたちのほうがあの場ではつらかったのではないかとも思う。
後半はリセット後、そしてリョーコ復活にまつわる悪夢的状況。
彼女がゼーガ内でしか生きられないという理屈はさっぱりわからないが、そういうシチュエーションありきのシナリオっぽいので突っ込んでも意味がないだろう。考える意味があるのは、この絶望的な状況をどうまとめるのかということで、そちらはしかしどう考えても最終回でリョーコ消滅しかない気もするのだった。幽霊たちのなかでもより幽霊、というか半死者であるわけだから、そのかりそめの命はいずれ消えないとならないのだ。リョーコ不憫。いや、キョウもくたびれているから心中落ちもあるかもしれない。その場合は、シズノさんが気の毒だけど。
設定面ではサーバーによる人類保存システムの限界が明示されて、それはつまり「無限進化」計画自体がそもそも実行不能だったということでもあり(常に動かしていないとならない理由は不明だが、やっぱり「いけす」か?)、同時に、これは明示されていないが、オケアノスにもいずれ限界が到来する可能性が高く、ようするに、この世界でのデジタル空間は物理現実に圧倒的に劣るものでしかないということなのだった。
そこで思うことだが――
現実とは何かとか、キョウ悩んでた意味ないじゃん。
もったいぶってないで、彼に最初からこの物理現実の優位を説明してやればこの話最初の五話分ぐらい要らなかったのではという気がいまさらながらしてくるのだった。
さて次回はその物理現実の優位が敵の脅威という形で具体化。
考えてみると、ガルズオルムサイドはなんで襲ってくるのかがよくわからなかったりするのだが(オケアノスサイドのようにテクノロジーの奪取とかは無いわけだし)、その辺は次回すこしは見えてくるのだろうか.