第十五話「リインカーネーション」

カーネーション! リインカネーション!

 という歌がありますが、それはともかく、リョーコの復活と舞浜世界の「リセット」のダブルミーニングなサブタイトルである。そしてそのどちらも、キョウにとっては残酷な結果になりそうな予感でいっぱい、という訳で。いや、舞浜のほうは予感どころか確定しているか。

 それにしても、ただ保存することだけが目的なら、活性化する必要はまったくないと思うのだが、どうなのだろうか。
実際いくらかどうしてもオリジナルデータに変化がないのなら、不活性とかわらんのではという気もする。ゴースト的にデータが残留蓄積はしているみたいだが、リセットが起きるということはつまり、本体以外のメモリーが一時記憶として使われているという以外なく、つまり残留記憶もその一時記憶の消し忘れでしかないのだろう。

 うーむ。そもそも、サーバー世界というのは、保存維持のための活性化システムではなく、むしろ、活性化させて、変革を促すためのシステムだと理解していたんだけどなあ。違ったのか。
 というか、五ヶ月活性化したぐらいでとまるようなシステムしかない世界では、無限進化なんて夢のまた夢です。これは単にオケアノス側の技術が貧困なだけとも言えるけどね。ガルズオルムはメインデータ化実体化は出来る、バックアップも出来るとやりたい放題だし。

 理論構築がはたしてどれくらいなされているのかわからないが、素人目には、リセット展開のためにサーバーに限界が設定されたというように見えてしまうのはまずい。

 ようするに、「ループする世界ならば真実の世界じゃない。真実の世界じゃないから、物理現実を取り戻さなきゃ」というふうに話をもっていきたいんだろうけど、それは、敵を悪に描くために無理に残虐なことをやらせる的な、安直さである。キョウの世界認識が主観全肯定の認識論なせいで、こういうベタな方法をとらない限り、サーバー世界を否定できないというのはわかるのだけど、逆にいえば、キョウの認識論を肯定して話を進めたこと自体がそもそもの間違いだったともいえるわけで。結局、現実と変わらないデジタル空間は是か非かという問題は、提示だけされて放置されてしまう公算が高くなってしまうのであった。

 ループを使うにしても、よりシビアにセレブラントをはじき出すための意図的なループということならばわかりやすいんだが。いや、あるいはそういう話にもこれかもっていくつもりもあるのかもしれないな(その場合は前段の批判は完全に無意味になる)

 これを書いていてふと思ったが、オケアノスのセレブラントたちのデータを管理しているサーバーは限界がないのか? 単にデータがすくないから問題がないということ? それだといずれ限界がくるということになるが……。

 ところで、今回明らかになった以前のキョウはしかし凄いやつですね。百回も同じゲームしてたらふつう絶対飽きるって。