第六話「大罪を犯す」

あるいは
「退職刑事と『古典部』」


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「おまえ、今週の『氷菓』は見たか」
 硬骨の刑事だった父が恍惚の刑事になってからずいぶんと経つが、世俗への関心は衰えないらしく、最近では、孫娘とはなしをあわせるため、と称して、いつのまに修得したのか、我が家の居間にあるブルーレイ・ディスク・レコーダーの録画機能を駆使して、深夜のアニメなどを熱心に見るようになった。といっても、せっかくの知識は、孫娘と会話の話題につかうよりも、息子の私をつかまえて、脚本の欠陥を難じたり、父が日常では知りようがない文化や若者言葉の意味を理解していることの自慢に使われることのほうが、多いような気がするが。おかげで、ずいぶんといろいろなアニメーションを、私は、年の割に知っている。
 そんな父の最近のお気に入りらしいのが件の『氷菓』という作品で、その今週分を父はとっくに見終えているらしい。仕事を終えて帰宅した私に、いきなりそうたずねてきた。
「昨晩、放映されたばかりの話でしょう。見ているわけが、ないじゃないですか」
「そういえば、そうだな。じゃあさっさと、見るんだ」
「別にあわてる必要も、ないでしょう。ブルーレイ・ディスク・レコーダーの現場保存力は、完璧ですよ」
「たしかに、現実と違って、物語の現場は時間によって証拠が失われることは、ないがね。見た私の記憶は時間によってどんどん、失われてしまう」
 口が減らない老人を父に持つと、息子は苦労するのである。夕食もそこそこに、『氷菓』の第六話「大罪を犯す」を鑑賞したが、父が何をそんなに急かしていたのかは、よくわからない。たしかに、主人公の探偵役、折木奉太郎の推理には、やや無理がある。それに、解かれずに終わった疑問点も、ないわけではない。しかしそれは騒ぐようなものとは、思われないのだ。そう伝えると、父は微笑みながら言った。
「現職刑事は、仕事をしていなくても、その観察力と推理力はやすませてはいけないぞ。事件の手がかりが、いつ、めのまえに出現するか、わからないんだ」
 その眼の輝きには、稚気だけでなく、鋭さもあらわれていた。恍惚の刑事の中で、すこしばかりかもしれないけれど、硬骨の刑事が目覚めているに違いない。


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「まずは、お前が気になった点を言ってみなさい」
 すっかり、部下相手のブリーフィング――といっても、父が現職だったころは、こんな言葉はなかっただろうが――をするような口調になって、父が言った。
 「事件」のあらましは簡単なものだ。主人公・折木奉太郎が隣のクラス、二年A組の授業中に教師が大声を上げて「キレる」のを耳にし、さらに抗弁する声の主が折木が所属する古典部の仲間である千反田えるであることに気付く。放課後、古典部の集まりで、当然のことながらその時のことが話題になり、どうやら教師が勝手に授業範囲を勘違いして、そのことに気付かず生徒を叱責したらしいこと、教師に意見した千反田がその教師の怒りに対して怒りを覚えたこと、さらに、千反田本人がなぜ自分が怒りを覚えたのか、思い出せないこと、を知る。そして、古典部の面々は様々な可能性を検討して、教師が授業用の教科書に記した各クラスごとの進度の記述を、すでに教えているD組とそうでないA組とをとりちがえた、そうなったのは、アルファベットの大文字を小文字に変換して書いていたため、aとdの縦棒の長さが紛らわしくなっていたからに違いない……というわけなのだが、
「まず、数学の教師だから、大文字を小文字に変換して書くだろう、というのは苦しい気がしますね。ロボットのイメージ映像とつかっているところや、福部の『生徒にも厳しいが、自分にも厳しい』という発言からしても几帳面な性格と推測できるから、大文字で書かれているものを、必然性なく小文字に変換する可能性は低いでしょう。また、そういう性格なら、かりに変換して書く習慣になっていても、見間違いようがないぐらいにきっちりとaとbを書きわけるのではないでしょうか」
「そうだな。さらにいうなら、普段から見わけられないような書きかたをしているとすると、間違いが今回初めてという可能性は低くなる。自分に厳しいという性格で、教師生活二十年、四十台になる御仁が、そういった間違いに対する対処が今更できていないという可能性は限りなくゼロといってもいい」
「四十台?」
「クラスの表示板を見てかつらがずれる、というハプニングについて、よくあることだ、というくだりがあっただろう。頭髪の減退について、徹底的に隠したくなるほど、悩むのは三十台までだ、かといって完全にあきらめがつくほど、年相応の禿げ方でもないから、大きなかつらを使わざるをえない、というと、五十台を越えてはいないだろう、ということだな。まあこれは単なる推測だ。すくなくとも、わざわざつけているかつらが外れて、動揺するほどの若僧ではないわけだ。ともかく、数学教師が自分の書き込みを見間違えたという線はない、ということだ。付箋やしおりの位置が、何らかのはずみで変わっていたり、外れていたり、といったことでもないよ」
「そのあたりは見当もされてすらいなかったですが」
「いや、そういったものは、本の小口や天から見えていないと用をなさない。生徒のまえでつかう教科書にそれがつかわれていたら、生徒はそれにかならずきづく。古典部の面々がその可能性を検討しなかったということは、はじめからその可能性があり得ない、つまり教科書にはそういうものを使用している形跡が全くないと、彼らが『見て』知っていたから、ということになる」
「これでは古典部の高校生たちと同じ袋小路じゃないですか。数学教師は授業進度を勘違いしようがなくなくなってしまいますよ」
「おいおい。高校生と同じ勘違いをしてどうするんだ」
「というと?」
「まずは、古典部の子たちは、数学教師が授業の範囲を間違えた理由を探ったわけだが、この時点で実はもう勘違いをしているんだよ」


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「数学教師が数学の教師であることは間違いではないでしょうし、探究心をもつことも間違いではないでしょうから、『授業を勘違いした理由を探る』ことが間違いだったということですか」
「もうすこし、範囲を、絞れるだろう。「理由を探る」ことが間違い、だけで十分だ」
 それではなにもやることがないのではないだろうか。
「なにか、言いたそうな顔をしているな。まあ、最後まで、聞きなさい」
 そういって、お茶を軽くすすると
「ある行動の理由を探るには、その行動が存在しなくては意味がないだろう。落語家が高座でエレクトリックギターを弾いた、その理由は、と聞かれたって、実際にそういうことをした落語家がいなければ、問題としては、不完全だ。どういう理由だって考えられるし、どういう答えだって間違いになる」
「でも、この場合は、その数学の教師は確かに存在しますし、勘違いされて予定より早く教えられようとした授業内容も存在しているでしょう」
「数学の教師は、確かに存在するだろう。予定より早く教えられようとした授業も確かに存在する。しかし、勘違い、はどうだろうか。古典部での検討をよく思い返してみなさい。教師が授業の進度を勘違いしていた、というのは千反田のお嬢さんの推測でしかないんだ。そしてすでに検討した通り、数学教師は授業の進度を間違える隙はなかった。そのことが意味するのはつまり、数学教師は授業の進度を間違えてなんかいなかった、ということだ。いいかね、彼は、クラス表示をかつらが落ちるほどしっかり頭を上げて目視し、教科書に記した情報ときっちり照らし合わせて進度を確認したうえで、確信的に、まだ教えていない内容だと確実であることをすでに教えたと勘違いしているようなふりをして、授業をおこなったんだ」


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「あえて教えていない範囲を教えたふりをしていたのだと考えると、つじつまの合う点がたくさんある」
 反論しようとする私を視線でおさえて、父はつづけた。
「たとえば、最初に、『川崎さん』を指名して、彼が解答できず、二人目『数学の得意な田村さん』にあてて、彼も答えられず、誰も答えられなくなり、激怒した、という展開があっただろう。一見自然な流れのように見えるが、そうではない。おそらく『数学が得意な田村さん』が予習をよくするタイプではなかったということなのだが、これは逆に言うと、かれが予習の必要がないほど、のみこみのはやい生徒だった、ということでもある。そして、彼のそういう特性は、よほど無能な教師でもなければ、とっくに、わかっているはずだろう。このクラスになって数か月、最初の中間考査だって終わっているんだ、どの生徒がどれくらい授業熱心であり、逆にどの生徒がどのくらいやる気がないのかもわかってくるだろう。もちろん、予習復習をちゃんとやってくる生徒と宿題すらろくにやってこない生徒の区別だってつくように、なっている。そのなかで、予習はしていなくとも、のみこみははやい生徒が、前回の授業の内容を覚えてない、という事態は、腹立たしいというよりは、なんらかの事情があると疑うと思うのが自然だ」
「病欠で、前回の授業を受けていなかった、とかですね」
「そうだ。しかしそれを一足飛びに省略して、おそらく怠惰であるとか傲慢であるとかを理由に叱責をした。しかも、『田村さん』は二度指名している」
「生徒に厳しいにしても、確かにしつこすぎる感はありますね。しかし、溺れる者は藁でもつかむ、ではないですが、怒髪天を衝いて、理性が吹っ飛び、冷静な判断ができなくなっていたと、考えることもできませんか。」
「溺れる者は藁でもつかむ、というのは、溺れているような人でも、何かをつかまないと溺れ続けるということだけは判断できる、という教訓だ、と考えることもできるよ。普通に授業をしていて、答えられてしかるべき問いを答えられない人間が次々に出たとしよう。教えたことに確信がある教師がするのは、確実に教えたことを覚えている生徒を探すことだろう。そこであわてたとしても、理性がなくなればなくなるほど、次こそは、と答えられそうな人間を探すはずだ。そうやって、クラスの生徒全員を指名したあとに最初に戻るなら、わからないでもない。一歩ゆずって、最初に答えられなかった相手を集中砲火する可能性というのも、印象の問題からすると起こりえないでもないが、二度指名された『田村さん』は二人目の解答者だ。しかも、この先生は、授業熱心なほうで、当然、生徒が答えられないことに喜びを見出すタイプの教師でもなかったようだから、クラスの生徒から解答をひきだす目的であるのに、既に答えられなかった相手をわざわざえらんで再度指名する理由はどこにもないよ」
「授業熱心な教師が、教えてないことを教えたふりをして授業をし、あまつさえ、激怒すらしてみせる、という理由もどこにもないように思えますが」
「この『事件』の面白いところはそこだ」
 退職刑事はにやりと笑って、またお茶を啜った。


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「おまえも気づいていたと思うが、アニメーションの本編ではまったく解決されずに放置された謎がひとつあるな」
「ありますね。千反田さんは何に怒ったのか、ですね」
「それが、大きなヒントなんだ。彼女が感情的に大きく揺れ動くのは、合理不合理の問題の時が多いだろう。」
「叔父さんの件で泣いたり、折木君の謎解きに感動したり、天使とからかわれて怒ったりは、確かに、理不尽さへの怒りや嘆き、あるいは、合理性への賛美ですね」
「そうだ。しかもそれは、彼女の中で必ずしも言語化されて認識されていない、というのが重要だ。おそらくは無意識な判断が感情の揺らぎとしてあらわれてくるんだろう」
「そんな彼女が腹を立てた、というのはつまり、そこに不合理があった、と。でもそれは『勘違いから生まれた理不尽』にむけられたものなのでは、ないですか」
「違うな。折木少年の謎解きを聞いて、彼女は『勘違いは責められない』といっているだろう。彼女にしてみれば、誰にでもあるミスなら理不尽のうちに、はいらないんだ。つまり、あの場にあった『理不尽』は誰にでもあるミスではなかった、ということを、彼女が無意識に判断したのだ、という推測が成り立つ。そこにミスではない理不尽の存在を、彼女は感じ取ったんだ」
「しかし、彼女の直感が正しいとしても、意識的に授業内容を間違えることによるメリットは、やはり教師にあるようには思えませんね」
「メリットなら、いくらでも、あるだろう。プラスであれ、マイナスであれ、ああいう授業をしたことで起きたことがすべて、メリットだ」
「それは屁理屈ですよ。動機として考えられるものはない。マイナスのメリットはデメリットでしかない。それに、かりになんらかの目的があって、間違えた内容の授業を始めたとしましょう。そこで、気の利いた生徒がすぐさま『先生、そこはまだ習っていません』といったら、どうなるんです?」


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「異変の理由に気づいた生徒がいくらいても、すぐに言うことは、できないよ。黒板に式を書き、問いかけをする。このあたりまでは、どんなに賢い生徒であっても教師の行動の真意は、つかめない。黙って話を聞いているはずだ」
「でも、そのあとには気づくはずでしょう」
「そこでおそらくはそれほど数学が得意ではない『川崎さん』の出番になる、としたらどうだ」
 なるほど。教師は生徒の能力と態度をすでに把握できている季節なのだ。「川崎さん」がそういう狙い通りの生徒であるなら、問題の授業範囲を予習してあって、教えていないことでも答えてしまうおそれもないし、その解答できないというトラブルが、自分が本当に習ってないことであるのか、あるいは、うっかり教わったことを思い出せていないのか、その区別ができずに当惑することも、数学教師の予想の範疇だった、ということになる。
「そうして、一人目が混乱して沈黙して、二人目も答えられない。それを口実に激怒すれば、クラス全体に解答できないような雰囲気を作り出せる、というわけですか」
「そこまで計算するかはわからないがな。少なくても、最初の一人の反応だけは、予測できていたはずだ。いくら激怒して見せても、二人目の「数学な得意な」生徒が解答できなかったことと、自分たちの前回の授業の記憶から、教師の間違いに気づく生徒は一気に増えるはずだし、千反田のお嬢さんのようにその抑圧から脱して反発する生徒が出てくるのは時間の問題だ」
「うまく間違いを指摘できない生徒の存在を把握できているなら、おなじように、そういう物怖じしない生徒の存在だって把握できているはずですからね」
 しかし、それでも間違える理由づけにはならないが――
「まだわからないか。数学教師の『間違い』を最初から考えてみてごらん。授業範囲を間違い、まだ解法を教えていない問題を板書し、答えられない生徒を当てた。この中で、教師の自由になることはなんだろう」
「授業範囲の間違い自体は勘違いで済まされる範囲はたいして広くないでしょうし、すでに教えた部分では間違う意味がない。自由度は少ないですね。問題は、例題のかたちをとる以上特殊なものにはできない。すると生徒を選ぶことぐらいしかない」
「そうだ。状況を掌握するために、どの生徒を選ぶかは、教師の選択次第だ。あるいは、その最初のひとりふたりが目的であったら、これはもう失敗のしようが、ないだろう」
「つまり『川崎さん』と『田村さん』を当てることに意味があった、ということですか」
「おそらくは『田村さん』だな。二度指名しているところも、彼への執着を感じさせる。『単なる勘違い』を偽装するだけなら、二度目は絶対避けるはずだ」
「でも、長続きさせるつもりはなかったのでしょう? それこそいつ千反田さんが割り込んできてもおかしくなかった」
「いやむしろ、割り込んできてほしかったのはないかな。最初に「川崎さん」を当てて、彼の動揺が『田村さん』に波及し、もとより予習をしていない彼が、自分が解答できない原因を自分のせいではないと推察できない状態に陥れたところで、目的はおおむね果たされたとみるべきだろう。あとは誰かが指摘するまで芝居を続けることにして、単なる勘違いとして、あっさり幕を引く。自分で間違えて自分で気づくという完全な独り芝居を演じきれる、と算段して、実行できるような心の余裕や肝の太さとは、あまり縁があるタイプとは思えない。「また尾道だよ」という生徒たちの感慨は、彼はむしろ短気でその場の感情に流されやすいタイプだったことをしめしている。自分の『勘違いによる』怒りを引っ込めるにも、生徒の意図せざる協力を得るためにも、極端な怒りや理不尽を演じる必要があったはずだ。おそらく、当初の予定では『川崎さん』を叱っているところで誰かが言い出すだろうとふんでいたが、予想外に皆が委縮してしまい、黙ってしまった。仕方ないから、混乱している『川崎さん』を再度指名して、状況の異常性、理不尽性をアピールして見せた」
 内心、最も焦っていたのは数学教師本人だったかもしれない
「その意図的な理不尽さを千反田のお嬢さんがぴたりと嗅ぎつけた、という流れですか」


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「しかし、そこまでして問題の生徒を困らせる理由はどこにあったんです?」
「そのヒントは、数学教師が、数学の教師であるところにあるんだろう」
 禅問答のようなことをいいながら、新しく淹れてもらったお茶をうまそうにすすって、
「彼は数学の専門家であっても、それ以外のジャンルではそうではないかもしれない。そして、『川崎さんは数学が得意なだけではなく、それ以外のジャンルも得意かもしれない。そんな二人が、一方にとっては短所、他方にとってはそうでもないこと、それも、授業中にはっきりその事実が確認できること、といったら、考えられるのは、数字やローマ字の問題ではなく、漢字やひらがなの問題だろう。刑事をやっていた頃も、大学でトップクラスの成績を収め、第一線で研究をしているような学者や医者が、小学生でもしないような誤字や誤読をしていたのを、嫌というほど見たよ。ほかの生徒が気づかなかった、数学教師の誤りをひとりだけが、気が付いた、あるいは、気づいたことを彼だけが表明した。そしてそれをどこかで揶揄し、おそらく本人が気づかないうちに、そのことが数学教師の耳に入ったんじゃないのかな」
「その報復、というわけですか。生徒に厳しく自分にも厳しい教師にしては、子供っぽいな」
「授業の内容そのものへの批判だったら、違っていたかもしれないぞ。授業の内容そのものへの批判でないからこそ、無防備な急所を突かれた気分で、カーッとなってしまった、ということは、十分ありえるよ。いってみれば、そこはプライベートだった。子供っぽい怒りは、子供っぽい報復を呼ぶ」
「それが、絶対答えられない問題をぶつけて、立ち往生させるといういやがらせになる、と」
「ああ。不得意なことで恥をかくことの辛さが、おまえにわかるか、といったところだろう。でも、このあたりになると、あまりにデータが少ないから、推測の域を出ないし、仮に本人たちに話を聞けたとしても、推測通りの答えが返ってくることは絶対、ないだろう。教師は勘違いで押し通すだろうし、生徒はそもそもなんでそういう目にあったか、はっきりとはわからない」
たしかに、どうやっても真相は永久に藪の中だろう。
「それに、これらの推理だって、なんら確証があるわけじゃない。もしかすると、数学教師と『川崎さん』がどこかの組織の一員で、不可解な状況を作り出すことによって千反田のお嬢さんを立腹させ、必然の流れとして古典部の放課後の活動を長引かせることによって、優れた探偵能力を持つ折木奉太郎少年を一定時間構内に出すことを阻止し、その時間帯に遂行される組織による巨大計画犯罪を邪魔させない、という、遠大な仕掛けの一端であったかもしれないし、たまたま、曲線をもたせず三角形のように書いてしまったDの字を、ついうっかり、片足をのばしそこねたAの字と誤解して、しかもその日は朝食の目刺しを、飼い猫のタマに略奪されておなかがすいており、虫の居所がことさら悪かった、というだけの一幕狂言だったのかもしれないよ。ああ、そういう意味では、折木少年の解答でも問題は別になかったともいえるのかもしれないな」
「しかし、間違っている可能性は高いですよ」
「間違っているか、間違っていないかは、重要じゃないんだ。古典部の謎解きというのは、あくまで、千反田のお嬢さんが気になるといったことに、答のようにみえるものを与えることが目的なんだ。それが嘘でも本当でも、かまわない。彼女が気が済んだ、といってくれれば、それでいいんだ」
「じゃあ、折木くんは僕らが考えたようなことを考察したのちに、より簡単で千反田さんが腹を立てないで済む、悪意不在の解答を考えついた、という解釈も可能ですね」
「いや、それはないだろう。あれが折木少年の考えうる最高の解答だったに違いないよ。あれ以上の解答を彼には思いつけなかったんだ」
 恍惚の刑事はにやりと笑って
「考えてもみろ。おまえにはもう想像がつかないかもしれないが、思春期真っ盛りの少年が、かわいいお嬢さんに、吐息のかかる距離まで接近されて、おまけにきらきらした目で凝視されているんだ。彼がどんな天才的探偵であっても、七つの大罪のひとつ――「色欲」に惑わされずにはいられなかったはずさ。あれぐらい考えられただけでも、上出来、といえるんじゃないかな」

               (20120531-20120602)
お断り
この作品はフィクションです。実在の、都筑道夫安楽椅子探偵の名作シリーズ、京都アニメーション製作の青春は甘いだけではないミステリーアニメシリーズとは関係のないところは一切関係がありません。また、アイザック・アシモフ安楽椅子探偵シリーズの名作がアメリカンコミックスの蝙蝠憑きの闇の探偵シリーズと競演したときのタイトルとも関係のないところは一切関係がありません。