第四話「Favorite Flavor」

〜今回のあらすじ〜

「おれは、おまえたち人間が信じられないようなアニメをたくさん見てきた……
最終回付近の制作が間に合わず出来の悪いリミックスでお茶を濁した挙句に「ありがとう」と言い放って勝手に完結したことにした社会現象作品……自分たちの都合でテロを起こして「すべてが終わったら罪は償う」と言っていたのに、いざ世界が平定に向かったらば「俺たちの使命は終わらない」と全然罪を償うそぶりを見せないどころか勝手にドロップアウトして恋人とバックパッカーライフを満喫する主人公たちを全然否定しない作品……ファーストインパクトを重視するあまり第一話をほぼその回限りのサブキャラだけの話にして皆殺しにして見せ、しかもそいつらは本当にその後の話にほとんど関係ない作品……不治の病のヒロインに向かって「この未熟者が!」と一喝するとウィルスが退散して完全回復したり、二人の女性に好かれてどっちを選ぼうかという話だったのに最後まで結論出さずに「しあわせだなあ。本当の空を飛ぶと、ぼくはいつもしあわせなんだ」で終わったりする作品……なんだかわからない病気で妻を喪い、今度は娘も同じ病気で喪いそうになったら、雪の降る街を重態の娘を抱えて彷徨、きがつくと今まで街に貯めた優しさポイント(たくさんいるヒロインたちにしたボランティア行為の対価)で、妻の死からして無かったことになって「喜びも悲しみも幾歳月」なんて言葉は知ったことかと、幸せしかない日常を「これが人生だ」と満喫してしまう作品……すべては、終わりそうで終わらないアニメバブルの流れのなかに消えていく……雨のなかの、涙のように」
 といって、息絶えたレプリカントのまえで、「おまえがこのアニメを見たらどう思うだろう」と考えた望。
 今度の作戦は「生徒会長の学校的信頼を失墜させよう」作戦。作戦の成功条件は、生徒会長のフルネームを「たちばなかなで」という音を聞いただけでどんな漢字を当てるのかを正解できたり、生徒会長の名義で提出されたふざけた内容の解答用紙と、クライストと呼んで欲しいメガネの人の解答用紙の筆跡がおなじであることを教師が見抜けなかったり、教室で計画の今後を大声で協議しているのにだれも気にしなかったり、その協議をしているメンバーと、試験後毎回異常行動を起こすメンバーが一緒であることに誰も疑念を感じなかったりといった、高いハードルの数々があるのだが、これはギャグアニメなので問題ないのであるが、そもそも学校や生徒の信頼によって天使が天使であるわけでないだろうに、そんな信頼の失墜をすることにどんな意味があるのかをもう少し考える必要があるのではないかと望は思いつつ、これはおそらく、とっくに確保済みと思っていた幼馴染が金髪ツーテールの巨乳後輩に鼻の下を伸ばしている光景に一念発起して自分もツーテールにしてみる殺人的に料理の下手な詰問の専門家のヒロインとか、宇宙人でも未来人でも超能力者でもないけど気になってしょうがない男がポニーテールフェチだと知ったら早速ポニーテールにしてみたり、ライバルを公然猥褻すれすれのビデオ撮影の主演に抜擢して嫌がらせをしたりするゆりっぺの双子の姉とかとおなじく、「とりあえず意中の男が生徒会長のほうを気にしてるから、生徒会長はいじめておかないと」というわかりやすい思考原理に基づくものだと納得するのだが、それでもやっぱり生徒会長を気にすることはやめられない。
「だって、失意の中、一人でぽつねんと激辛麻婆豆腐を食べている生徒会長ってかわいそうじゃん?」
「ふーんそうなんだ、それって妄想じゃない?」
「ちがうよ、ほんとうよ」
「そうなんだ」
「うふふふふふ」
「あははは」
「そういえば、エンディング曲って童謡っぽい感じが桃栗三年っぽいよね」
「やれやれ」
筋少版「愛のためいき」ってこんな感じだったかCDラックをチェックするの面倒なので細部があってるか怪しいものだが、大筋はあっているだろう、たぶん。やっぱり筋少はレティクルあたりが限界だったよな、と脈絡のあまりない連想の果てに、トルネード作戦を含むSSS団の作戦が、盗んだバイクで走り出したり、校舎のガラス窓壊して回るするレベルの「自由になれた気がした」ごっこでしかなかったのでは、という根本的な疑問に行き当たっていると、そのとき、宝塚の男役のような声色の生徒会長代理が、バンカラナチスを足して二で割ったような風体で出現して……

 次回「望とカナデの小さな恋のメロディ


という第五話。

 にしてもワンクールアニメの半ば近くである第五話にして今まで蓄積した物語が瓦解し、灰燼に帰してしまった作品というのもなかなか珍しい。これはたとえば、ストーリー上で重要とされたアイテムが壊れてしまったとか、努力が無駄になったとかいうレベルの話ではなく、視聴者に提示されていた世界観が根底から覆されてしまったという意味である。もちろんこの作品において、視聴者に提示されていた世界観というのは、ほぼゆりっぺの仮説に過ぎなかったわけだから、厳密には作品そのもの世界観や設定が覆されたのではない。主人公がやってくるまでは作中キャラの誰一人としてそれに異を唱えていなかっただけのことで、ゆりが悪いというよりはゆりの無能に気づけないSSS団がバカであり、同じようにゆりっぺの仮設を鵜呑みにしていた視聴者がわるかっただけ、ともいえるのだが、異議を唱えることも出来ないこともないだろうSSS団に比べると、基本受容するだけの視聴者にしてみれば、今まで見ていたものはなんだったんだ……と思えてしまうのもまあ事実。推理小説なら、探偵側の不確かな仮定に基づく推理の伽藍の構築と破壊そしてまた再構築と展開していく、というプロットも珍しくないけれど、一クールアニメの中盤に、世界観レベルでこの構築と破壊をやってしまうのはよほどの自信の賜物か単なるバカか。だって実質次回がまた第一話みたいなものなのだから。これで今度は「生徒会長のカナデが天使なのではなく、生徒会長の地位にあるものが天子なのだ」みたいな新説――ようするに『マトリックス』三部作におけるエージェント(あの人たちは任意の一般人に上書きされて出現する)みたいなものだ――を提示してそのままそれまでの反省もなく、対・直井戦がメインになっての「神との戦いセカンドステージ」になるとしたら、ある意味天才だろう。
そしてまた五話ぐらい進んだところで間違いがわかって一からやり直し、という展開になったら、麻枝准は天才を超え、新世界の神となる(そしてゆりっぺに攻撃される)。


 まあ設定的な疑問はあるいは今後完璧な解答がだされる可能性もあるから、とりあえずはおくとしても、テーマ的にもどこにいこうとしているのかいまだ見えてこないのは、そろそろまずいのではあるまいか。
具体的には、物語の中心にある、中有の世界におけるSSS団としての生活、というのががなにを訴えようとしてるのか?ということだ。
これまでの展開からすると、「みんなと同じ普通の学生生活をすごす」は、「学校(システム)の思う壺だからアウト(昇天)」なわけである。かといって岩沢のように「みんなとは違う自分だけの人生を謳歌する」のも「満足してしまうのでアウト(昇天)」なわけである。野球のエピソードで暗示されたように生前の失敗を恢復するのもたぶんアウトだ。となると、どこまでも半端ライフをくすぶることこそがこの世界における正解なのだろうか。

そう考えると、このアニメ自体がなにをしたいのかわからない半端ムードを出しているのは、このアニメ的には正しいのかもしれないし、今回のエンディング曲の使い方も納得がいく。普通にいい曲なのだから、感動的なクライマックスで流せばそれこそ「泣ける」名場面を作り出せるはずで、それをかんがえれば作中での使いかたも慎重に慎重を重ねてプランを組みそうなものだが、このアニメでは、あっさりとギャグのジングルに使ってしまう、そのこころは、センチメンタルな感動モノでもスラップスティックコメディでもない中有の世界、それこそが本作の目指すところである――ということなのかもしれない。虻蜂取らずではなくて、虻蜂取る気がない、というわけである。じゃあどこにいく気なのかといわれても、まだわからないが。

昔の偉い人は言いました、「とび込む前には、先ず谷の深さを測るものだ」と。

でも、谷かどうかもわからなくてもまず飛び込んでみるという人の勇気もあるいは評価されるべきものであるかもしれない。