第十二話「夏フェス!」

冒頭で夏期講習だとか受験生とかいろいろ視聴者からのつっこみがありそうな部分を前面に出したうえで「ちょっとした息抜き」と唯たちに言わせて押し切るという力技が印象的な第十二話。二年生のときにやっておけばもっと簡単に進められた話じゃないかという気もするが、以前も書いたとおり、これはどうにもならないことなのだろう。

どうにもならないこと、といえば、日ごろとくにバンドのライブに行ってる様子も、音楽を熱心に聴いてる描写もなく、あまつさえロックの話すらほとんどしていないひとたちがフジロックフェスティバルがモデルとおぼしき「夏フェス」に行って楽しめるのか、という根本的な疑問が、ロックファン視点とか、揚げ足取り目的とか、そういう偏った視座に立たなくても、夏の終わりの雲のようにもくもくと沸いてでてきてしまうのは、これまたどうにもならないことである。

こういう違和感が生じるのは誰にでもわかることなのだから、、期末試験のはなしをやる余裕があるのだから、けいおんメンバー(まあ主に澪と梓だろうか)の音楽ファンとしての側面を描いたエピソードをこまめに織り込んでおくなり、一話丸々使ってやるなりしておけばいいのである。このシリーズの特徴に「細部の適当さ」だけでなく「段取りの悪さ」まで加わえてしまっていったいなにがしたいのであろうか。
まえふりさえきちんとしておけば、「音楽まみれの二日間」に浮き足だつ澪の心理にもおおきな説得力が生まれたはずで、それを呼び水にほかの四人もまたバンドマンであると同時に音楽ファンでもある、視聴者に納得させるのも現状よりはるかに容易だったろうから、終盤の五人で寝転がって語らう場面のいささか唐突なように思える唯の台詞も、好きな音楽をあびるように聴いた高揚した気分のなかで、それはつかのまかもしれないし、根拠だってあるかは怪しいけれど、幸せな全能感と可能性に満ちた未来への期待――といういわば「僕らの夏の夢」から生まれた言葉だと、見る者も素直にうけとめることができ、「楡の木の上、君は笑う」と歌いたくなるような、かなり印象的な情景になったのではなかろうかとおもわれるだけど、残念ながら、実際に視聴者が目にしたものはといえば、極端でめちゃくちゃな自画自賛にしかみえないという、悪い意味での印象的でしかない場面にすらなっていたように思う。
 いや、それは音楽フェスティバルに来ているのに音楽以外のことに夢中だったりする一連のコントが描くためには仕方ないことじゃないか、とおっしゃる向きもあるだろう。紬の焼きそばへの偏愛(この人のわたし富裕層なので庶民のことは知りませんアピールはさすがにもうしつこいと思う)とか、唯が水遊び用にサンダル持ってきているとか、澪がベーシストのベースプレイよりレフティであることに共感しているとかそういうのがメインなのだから、と。
 あるいは原作ではそういうのがメインなのかもしれない。原作ではこの話がどういう扱いになっているのか知らないし、そもそもどれくらいがアニメオリジナルなのかすら知らないのだが、結論から言ってしまうと、そういう方向でやれるような作品ではもうなくなっていると思う。

 たしかにさわ子先生と唯の「あたしロックだから」「なにそれわからない」のやり取りなんかは面白かったから、ああいうのをもれなく削ってしまったらさびしくなると思うけど、それをメインにするなら終盤にああいうエピソードをやるべきではなかった。爆音の演奏のなか音楽以外のことに気をとられる人が「自分たちも同じレベルかそれ以上の演奏ができる」と思ってしまうなら、それは単に人の音を聞かない無礼者か、人の音を聞けない愚か者でしかないだろう。そういう人がなにを語ったところでそこにはどんな種類の説得力も生まれない。あのシーンの不自然さの理由はそこにあるのだ。唯が普段はいい加減でおっちょこちょいであっても、音楽に関しては俄然夢中になる(弾くことだけでなく聴くことも)と描写できていれば、事情は全然違ったはずなのである。
結果、テーマと内容のわりに、「僕らの夏の夢」とはどうにも言いにくい場面になった。

これを、サマーウォーズ現象という。いま、命名しました。

フジロックもといナツロックの描写については、実地には行ったことがなく、テレビのドキュメントといったことのある人の話で聞いただけなので、あの描写がどれぐらい正確なのかはわからないが、すくなくともいろいろと綺麗過ぎるような気はする。もっと足とかドロドロになりそうなイメージであるし、雨が降ると意外なぐらい寒かったりもするようだ。ただ、このあたりは過剰な美化とそしるよりは、たとえばコミケを描写した漫画やアニメが実態よりだいぶ綺麗目になっていることが多いように、フィクションとして描く際のブラッシュアップと見たほうがいいのかもしれないし、そもそもが「大変ことは最大限に避けて通る」アニメの描写なのだから(とはいえ、あの用意周到そうな梓が「会場は広いらしいですね」みたいな半端な知識しかなさそうだったりという、得意技ともいえる詰めの甘さは気にならないでもないのだが……)。

あと、野外ライブはあまり行かないので確かなことはいえないのだがライブハウスの音より野外のほうが音がびっくりするほど大きい、ということはあるのだろうか。あるいは、唯たちが行ったことのあるライブハウスは特別音が大きくなかったということなのか。まあこれもまたいつもの詰めの甘さのなせる業なのかもしれない。

次は憂チームがメインか? 「未来」とか「バンド」とか面倒な要素がないぶん、あちらのほうがシリーズ本来の持ち味を獲得できているような気もしないでもない今日この頃である。