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NOといえる都民
為政者のさじ加減でいくらでも規制が出来る条例案にNOといえる都民
以前より適用範囲が拡大、曖昧化しているのに
「以前より範囲が限定された」と虚報を流すマスコミにNOといえる都民
これは表現規制の問題ではなく単なる区分配列の問題だとうそぶく副都知事にNOといえる都民
同性愛者などのマイノリティを公然と愚弄して恥じない都知事にNOといえる都民
反対した前回とほぼ同じ内容であるのに賛成しようとする民主党にNOといえる都民
単なる区分指導でなく
単なる表現規制でなく
緩慢な弾圧であり
文化の扼殺である
おろかな思想にNOといえる都民
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ぐーたらモードから復帰しようとして最初に書くのが、こういう文面であるというのはいささか考えてしまうのだけど、しかしこれはやはり大切なことである。(ほんとうはエンジェルビーツやけいおんのまとめや、薄桜鬼の第二期、いいじゃなイカとか、俺の妹がどうしたこうしたとか、神のみが知ってるどうしたこうしたについても書きたいのだ)
この条例案に賛成しようとする人たちは、これが一体どういう意味を持っているのか本当に考えているのか。子供達のため、という美名の元に何を許そうとしているのかわかってるのか。
目先の利益や政治的判断(民主党に関しては政治的にもこれが得策なのか、とは思うが)やらで、
文化的絞首台の作動スイッチを押すのに加担していいのか
そんなに将来に禍根を残したいのか。
恐怖政治は大義名分を掲げてやってくる。
治安を維持しようとか、退廃芸術を撤去しようとか、文化の大革命だ、とか。
あとには悲劇しか待っていない。
そういうことをわかったうえで賛成票を入れたいというのなら、入れるがいい。
そういうことをした政治家であると、みなに知らせたいというのなら。
本日投票のようである。本当に考えていただきたい。
それでいいのか?
“また、だらりと吊り下げられる新しい首
ゆっくりと連れ去られていく子供たち
暴力は沈黙をはぐくみ
誤認されつづけるわたしたち
わたしでなく、わたしの家族でなく
あなたの頭の中に、生ける屍“
――クランベリーズ「ゾンビ」