第十話「先生!」

さわ子先生のバンドの音楽が、あんなレトロでききやすいメタルではなく、スレイヤーとかG.I.S.M.とかアンセインとかクリプトシーだとか、慣れない聞き手が確実にひくような激音だったらよかったのに、とちょっと思ったりもした第十話。魂のぶつかりあいだとのなんだのというのだから、それぐらいの激しさを見せてくれても、というわけだが、まあ、ギターのテクを競い合ってたとかいう元バンドメイトはギターをちょっと爪弾くとメタル系でもなんでもないブルースっぽいフレーズを聴かせるけど、そしてそれが実際の演奏シーンへの伏線にも何にもなっていないという、いかにも「けいおん!!」らしい粗雑さなので、そこで音楽にだけ説得力を求めてもしようがない話ではあるのだった。

実のところ、さわ子先生ってあんまり好きではない(というかどうでもいい)キャラなせいで、事前の期待値は前回、前々回に引き続きかなり低かったのだが、先生を肴にけいおんメンバーが右往左往するという古典的なドタバタものであったので、そこはまあよかった。さわ子先生奮闘記みたいなのをだらだらやられたらどうしようかと思っていたのである。
で、そのドタバタに交えて「成長すること」という、どうやらこのシリーズのメインテーマらしい話題をつついていくのがミソといえばミソなのだが、大人が大人に思えるのは中学生ぐらいまでじゃないかなーとか未来を見据えるなら受験生である現在が気になってきて困るんじゃないかなーとか、いろいろと今まで積み上げてきたものが完全に障害になっていたのでありました。

障害といえば、いちOGの結婚式になんで学校の新聞部が何人も出席してるのかとか、がんもどきがなんだかわからない紬はいくらなんでもやりすぎだろうとか、さわ子が三十代後半以上というのでもないかぎり、彼女が高校でバンドやっていた時期は今から十年ぐらい前ということになって、そのころは、聖飢魔IIが地球征服を完了し、ロックシーン的にはグランジどころかニューメタルとかモダンへヴィネスとか言われたスタイルの音楽も退潮になってきたあたりだから、メイクをするならスキンヘッドでボディーペインティングするぐらいでなければならなく、つまりデスデヴィルのファッションも音楽性もギャグレベルの時代錯誤でしかない(もちろん、「メタラーだった過去がある」という設定がでてきた段階ではギャグだったのだろうが、こういう話だとどうにも収まりがわるい)とか、はたまた、メタルのライブ演奏に対する観客の反応として、なぜヘッドバンキングがないのか、とか、細かいところからわりとメインに関わるところまで変な描写が間断なくでてくるのは、あえて見るものの気を散らせようとしてるのかと邪推すらしたくなる。

たしかにあまり見る側がまじめに成長というテーマを気にしだしたら、受験だけでなくバンドの今後(べつに部活動に依存しなくてもいいのだから、外でもっとライブをやればいいのである)とかから目を背け続けるキャラたちにあまりに無理がありすぎるわけで、そのあたりをごまかしておきたいのであろう作り手のジレンマもうかがえないこともないのだが……。