第十話「Goodbye Days」

〜やんよの皿〜

(お囃子が聞こえてくる)
“謎をどんどん、どんどん出し続け 嘘をつぎつぎ、つぎつぎ積み重ね
 Angel Beats!はどこへ行く 視聴者(ぼくら)を乗せてどこへ行く〜 う〜う〜”


エェ……。この世にはジンクスなどというものがありまして、これはようするに、科学的にどうこうなる法則というよりは、なんとなくそうなること――まァ、それも大抵悪いことでございますが――多かったりするようなことについて、「ああそれはジンクスだな」というわけであります。雨男だの晴男だのというのは大抵がこのたぐいですし、より本格的なものではたとえばクラシックの世界では「第九の呪い」なんてものがございまして、これは大掛かりな交響曲を作る音楽家はどういうわけか「第九番交響曲」を作り終えるか、その途中か、はたまた「第十番」をつくり始めると死んでしまうという、ジンクスなんでございます。有名なところではベートーベンは第十番を完成させることができずにこの世を去り、ブルックナーは九番の第三楽章を完成させたところであの世の人になってしまったというわけでして、マーラーなんぞは第九の呪いを避けようと第九番を完成させたあとの交響曲には第十番と名づけずに完成させて、さあもうこれで安心と第十番をつくりはじめたところでポックリ逝っちゃった(笑) いやこれは笑いごとでありませんな。
ジャズの世界でも似たような話がありまして、これは「チックコリアのワンホーンカルテットのサックス担当は長生きできない」というんですが、まあこれはあまり有名ではない。いま思いついたようなものですから当然ともいえますな。
しかし、これはなかなかなよくできておりまして、実際、一番有名なスタンゲッツは六十代で亡くなってますし、ジョー・ヘンダーソンも同じくらいで物故してる。そのうえ、コリアがエディ・ゴメス、スティーブ・ガッドというに馴染みの面子で作ったリズムセクションにかかわった三人のサックス奏者、ジョー・ファレルマイケル・ブレッカー、ボブ・バーグの三人は皆五十代で急逝しているでありますから、ジンクスと呼びたくなる人がいたっておかしくない。もっとも、実在の、それもごく最近の出来事ですから不謹慎極まりないし、変にこの「ジンクス」が話題になって件のリズムセクションへの参加者がいなくなっても困りますから、定着されてもこまりますけども。

さて今回のエンジェルビーツは、そんないささか不謹慎なジンクスについてのお話で――

音無「ヤるやつはきまった。もんだいはヤりかただ」
天使「ナンだい。藪から棒に」
音無「ナニって、アレさ。ガールズデッドモンスターってあるだろ?」
天使「少女達死体怪物?」
音無「筋肉少女帯絶望少女達を混ぜてさかさまにしたような訳しかたをしないでいいから。あれだよ、陽動のバンドがそういう名前だったんだよ」
天使「始めて聞いた。いつも普通にSSS団と戦ってたから、彼女らが陽動になっていたことも、今知ったわ」
音無「まあそれはいいとして……。ともかくそのバンドのヴォーカルをやっている子がいるんだけど、彼女ならもうヤれるかな、ってね。バンドにSSS団にどつき漫才にと、学園生活にはまったく馴染んでないけど、青春は謳歌しているみたいだから、もうヤって、成仏させるに機は熟していると思うんだ」
天使「あなたが彼女をヤるの? 卑猥だわ」
音無「カナデ、これがエロゲーなら確かにその解釈で間違いない……がしかしこれは清廉潔白なTBSの深夜アニメなんだ。ミニスカートで何度もブリッジしてもパンツがまったく見えないんだぞ。それでヤるのは無理だろう?」
天使「そうね。それで?」
音無「以前ガルデモのヴォーカルだった岩沢というのが昇天しただろう? 俺がこの世界に来てから消えたのは彼女だけなんだ。最初にヤるのは確実性が高いほうがいい」
天使「ユイはヤりやすそうだ、と」
音無「……。誤解を招きかねないいいかただけどそういうこと。それに上手くすれば、ガルデモのジンクス、というのもつくれるかもしれない」
天使「?」(小首をかしげる
音無「ガルデモのヴォーカルを担当することは成仏への最短距離である、と。実際思いっきり歌えば、ストレス発散してすっきりするから、満足しやすいのかもしれないしね」
天使「獲物を効率よく捌くために、常に席を開けておきたいのね。うまいわ……」

……などと、まるで拝み屋か御祓い屋のような作戦会議をして、いよいよユイの元へとやってきます。

音無「おお、ユイ」
ユイ「なんです先輩」
音無「時におまえ、ナニが怖い?」
ユイ「そうですねェ……ああ、バンドが怖い、プロレスが怖い、サッカーが怖い、野球が怖い、ここらで一発ホームランが怖い……」

かくして、ユイを「満足」させるための四苦八苦といいますか七転八倒といいますか、茶番劇が始まるのでございます。どんな内容かは本編を見なくても、過去のKeyのゲームのじゃれあいイベントと同じものを連想すれば間違いはござんせん。ミニゲームになっていたりするかもしれませんケド。

ああそうそうおまけにもれなく回想ムービー『病院より難病とともに』がついてきますのをいい忘れておりました。内容はまァ、皆さん御存知の、というヤツでして……ハイ。首から下がまったく動かないのか、車椅子に座れるぐらいにはどうにかなるのか、ぐらいははっきりしろという気もいたしますけども、前回の音無くんの回想と同じく、所詮は死んだ人の回想でございますので都合のよい改変も多数なされているのでありましょう。

そんなこんなでユイの願いのイベントはすべてこなし(八百長がアリなら、直井君を呼んで「催眠術」を使えば一発だったんじゃないかとおっしゃるむきもいらっしゃるでしょうが、ここは自分でがんばらないと主人公らしくないのであります)、気がつくとバンドも天使もどうでもよくなっているのでありますが、これはゲームで特定キャラのルートに入ると、ほかのキャラや設定が存在しないがごとき展開を見せることがよくございますが、ああいったものを再現しようとしたのでありましょう。
さて、クライマックスはお約束とも言える展開でございます。

一番怖いもの、それは「愛」。

しかしここからが面白い。記憶がないというアドヴァンテージを失ったため、ジゴロライフに主人公としての活路を見出そうとしている音無くんですが、意外にもここでユイの願いに答えてやることができません。体操着の下がブルマでなく短パンなのがいけなかったのでしょうか。あるいはここで性的に相手を満足させてしまうと、自分も一緒に満足して昇天してしまう可能性があるのでためらったのでしょうか。真実はまだ風に吹かれておりますな。
かわりに、というか、いままで隠れてみてタイミングを計っていた日向が放送時間が許すかぎり「結婚してやんよ」と繰り返し、見事、ユイにゃんは成仏したのでございますにゃん。どうやらこの世界では、日常的に友達らしいじゃれあいを繰り返している相手イコール結婚してもよい相手、という方程式が成立しているようでございますな。生者の世界にこの方程式が存在していたら、高校を卒業するころには既婚者だらけになっていることでありましょう。
ま、ともかくユイは無事に成仏していったのでございます。では日向というと、じつはなんでユイが消えたかわかっていないんですね、これが。
だって、ふたりが生まれ変わって六十億分の一の確率で――これも一体どういう根拠で導き出されたのかわかりませんが――再会したらユイがまた交通事故にあって半身不随になっていて、それを介護しながら結婚してやんよ、なんてまさかそんな悪趣味な想定をするような人じゃありませんから、いろいろいっていても結局は中有の世界で結婚したかったはずなのですが、ユイさん、あっさり消えてしまった。これは困った。

日向「おいおいこれはどういうことなんだ。音無? 半鐘でも鳴らせばいいのか?」
音無「それは一体どういう意味だ」
日向「これですっかり、おジャンになった」
音無「ほかの落語のサゲを使うな。っていうかどうもこうもないだろう。ユイは満足したから成仏していったんだよ。野球もやった。サッカーもやった。プロレスもやった」
日向「結婚はやってない」
音無「いや、俺は静止画像をたくさん見たぞ。あれでもやったのと同じことだ」
日向「ム。しかし」
音無「しかし?」
日向「しかし、バンドはやってない。バンドで成功していないじゃないか!」
音無「確かにそうだ。だけど、バンドで大成功したのと同じ気分を彼女は味わった。だからバンドをやったも同じことなんじゃないかな?」
日向「同じ気分?」
音無「そうさ。日向、おまえさん、一体なン回『やんよ』といったかね」
日向「フム、たしかにたくさん『やんよ』と言ったな」
音無「そう、おまえが、あんまりたくさん『やんよ』といったものだから、彼女、錯覚してしまったのさ、ああ、これはバンドで大成功したときに客席から聞こえてくるものだ。
これぞまさに、やんよやんよの大喝采

……おあとがよろしいようで。

(再びお囃子)
“楽しいことも あるだろさ 異常(おか)しいことも あるだろさ
だけど、視聴者(ぼくら)はくじけない……”


次回、ガールズデッドモンスターにたくさんのヴォーカルが加入! そして再びジンクスが……


という、第十話。
かんがえてみると、ゆりっぺの「学校に従うと消される」も、直井の「ここは神様育成所で勝ち残ったものが神様になれる」も、天使の「学校は青春失敗組の救済施設で消えることは救われること」も、大抵の「ジンクス」と同レベルの、あいまいで乏しいサンプルから導かれた性急な結論付けに過ぎないのであった。既にどの説でも説明できない状況や展開が目白押しだし、次回予告手前の謎の「影」の存在がさらにその「仮説の不確かさ」を強調する。失踪した少女が生きているのか死んでるのかがぎりぎりまでわからないコリンデクスターの代表作を思わせるような、念のいった霍乱と翻弄のてつきは、非常に素晴らしいのだが、かといって、面白さに通じてるかというとこれがちょっと難しいところでもあり、というのも、すでになんども書いたように、これだけなんどもオフビート化していると、さすがに、見るほうだって、眼前でどういう事態が展開していようと「これは最後の最後ではずす可能性があるぞ」と眉唾モードで見るのか必死であり、当然、どんな感動的な展開や台詞があろうとも、素直に浸れる奇特な人など、いるはずもない。それこそメメントの主人公のごとく、過去のエピソードをまる忘れするとかでもしないかぎり。

そうした結果、どういう視聴体験になるかというと、これが限りなく宙ぶらりんな、変に客観的で、それこそ中有な感性による、断片を断片のまま、散漫に鑑賞する体験である。この見方と、展開が強引だったり、かみ合わなかったりすることが多発する会話や、学校の外には何もないのに山篭り(川のみならず山もあるらしい)とかのシュールともいえないような支離滅裂な細部や、思いつくままに並べたようなテンポも質も悪いギャグは、非常によく似合う。連続性を意識しなければ、不連続性が気にならないからだ。そんななかで作画の安定性だけは連続しているので、すくなくても目には心地よい。真夜中のアニメとして、これはとても重要な要素である。夢みたいなものだ。あるいは、悪夢かもしれないが、怖くもなければ、不気味でもないので、安心してみていられる。

おまけにほら、子守唄すら聞こえてくるのだ。

ところで、この学校にミックジャガーがやってきたらどうなるんだろうね。彼は永遠に満足できないから、永遠に成仏(そういえば、なぜに昇天でないのだろう、「天使」がいるのに)できないのかな。