第十一話「Change the World」

〜YURI〈霧の学校〉〜

Page.1 次の犠牲者を誰にするか、音無くんは考えます。直井と日向が味方に加わるのですが、直井がことさら悪っぽく言わなくても、相手の同意も得ずに勝手に昇天を促す行為は、犯罪行為であるように思えますが、気にすることはありません。
Page.2 タタリガミっぽい「影」が襲ってきます。影は銃などによる物理攻撃により倒せるのでした。音無くんは慕ってくれる直井君に対してはけっこう冷淡です(影に食われかけて倒れたのに、かけよりもしないのですから)。
Page.3 ゆりっぺさんは天使とは異なる勢力による攻撃とは考えていますが、天使を呼び出して「おまえがかかわってるのではないか」と問い詰めるのでした。
Page.4 ゆりっぺの詰問から天使を守るためには、音無くんたちも天使とゆりっぺの対話の場に同席しなければなりません。直井くんがあからさまにうそくさい言い訳を駆使して、天使がまるで悪に染まっていない事実を隠そうとします(直井君はいつのまにかそのことも知っているようでした)。音無しくんは立ち会ってるだけでゆりっぺさんへの牽制になるのでした。モてる男はオトクです
Page.5 また「影」が襲ってきます。「影」はマトリックスのエージェントのように一般市民をのっとって出現するのでした。
影は倒さないと、影に食われて、地面に飲み込まれてもとの自分ではいられなくなります。魂が食われてしまうのです。めがねを落としてしまうぐらいの大変な事態です。
Page.6 影にとりこまれ、魂を食われてしまうと、NPCとして中有の世界に永遠にとどまることになります。この学校は「喪われた青春体験装置」ではなかったのでした。
Page.7 ゆりっぺさんはSSS団を召集します。はじめてみるまるでモブキャラのようなぞんざいな顔のひとびとが集います。「ギルド」の面々は見当たりませんが、どこかに隠れているのでしょう。松下五段は山でまだ修行中のようです。
ゆりっぺさんの目的は、学校が油断すると魂が取られるサバイバル空間になったことを告知することと音無抹殺チームの存在を皆に告げることです。既に学校が昇天を援助するシステムでないことが露見している状態で、音無は自説を述べます。どういう言葉を使って説明したかは誰も知りませんが、なんとなく視聴者の心に訴えかける感じのきれいめのピアノのフレーズを使った音楽が流れていたので、なんとなくSSS団の心に訴えかけた感じになりました。
Page.8 天使は天使ではない、とゆりっぺはいいます。これは、音無たちのような普通の死者と異なる存在ではない、と言う意味ですが、プログラミングで自分にさまざまな機能を付与できる存在であるという事実はこの断言にまったく邪魔にはならないようでした。実はゆりっぺたちもパソコンで特殊オプションをつけることができるのでしょう。
Page.9 高いところからジャンプするには、天使のように、飛行能力はなくてもそれなりの空気抵抗は生み出せる翼を広げ、いい按配に着地時の衝撃を和らげるか、ゆりっぺのように、一階ぶんぐらい下の屋根に飛び移ってから、そのまま降下して、屋上からじかに降りるよりは衝撃を減らすかすれば問題ないようです。
スカートも、通常の物理法則で考えると、飛び降りているときはもはやスカートというよりは腹巻かなにかのようになっているはずですが、この世界の物理法則ではそのようなことはおきないので、つつしみある淑女でも恥らうことなくジャンプできるのでした。
Page.10 天井にきりもみ回転しながら激突するときの音楽が流れる中、SSS団は現実と向き合い、思い悩みます。抹殺チームに成仏させてもらうか、影と戦いながら中有の世界に居残り佐平次し続けるか、はたまたNPCになって学校の一員になるか。
Page.11 ゆりっぺは、推測の外れすぎな現実と向き合って、一人「事件の黒幕」を探しに出ます。
Page.12 この世界の事象はパソコンでコントロールできるのです。
Page.13 最近、パソコンがよく盗まれるようです、土塊から有機物以外は何でも作れる世界のはずですが、どうやらパソコンもまた作れないようです。そうして盗んだパソコンで「影」を作っている人がいると、パソコン室はギルド跡地につながっているので、三度バイオハザード展開を経たはてに「エンジニア」があうことができる、とゆりっぺは推測するのでした。それがあっている保証は例によってまったくありませんが、いよいよ物語も終わりに近づいてきたのです。

次回。
「しってるか? 天国ではみんなが海の話をしてるんだぜ」


という第十一話。音無しの説得からゆりっぺによる探索開始までのお約束で固めたような感動系の展開が、「またギルド?!」という、オフビート感あふれるノイズともいえる落ちでサゲられる。ここまで来るとこれはどう考えてもわざとだと見るべきで、具体的には、最後の台詞が無いだけでも、緊迫感あるひきになるところなので、盛り上がりどころを的確に破壊することこそが、本シリーズの大きなテーマなのだろう。本作でなにが成し遂げられたか、あるいは成し遂げられるのか、という点に関しては、完結してからでないと確たることは言えないとはいえ、すくなくても麻枝准に、まったく泣けないし、感動もできないうえに、そもそも得体がまるで知れない難解な作品を作る才能があるということだけは、広く知らしめることはできたと思う。

さて、展開的には、シリーズ序盤の感想で「上位構造がわかってから本筋だ」的なことを書いたがそれがようやく形になったようなところで、しかし本作の非凡なところは件の上位構造説がたった一人の探偵(それも間違いやすい)の単なる仮説であって、そのうえそれが次回以降でまたひっくり返される公算があること。まったく持って素晴らしい。これで次回またもや虐殺コメディをやってくれたら本当に天才である。

ところで、今回のサブタイトルの元ネタは、まあたぶんエリッククラプトンもカヴァーしたあの名曲からなのだろうが、個人的に連想したのは、昔レンタルビデオ屋さんに張り出してあった広告のこんなフレーズでありました。

「映画の歴史は変らない。
チキンパークでは変らない。」

これ、『チキンパーク』というジュラシックパーク便乗映画のキャッチコピーで、コピー自体もジュラシックパークの宣伝のパロディなのだが、映画自体がどういうできだったかということはともかく(というか、見てないので語りようがない)、このコピー自体はチキンパークといういかにもどうしようもない響きの名前がもたらす文章の説得力とユーモアが素敵で、当の映画が、言葉通り映画の歴史をまったく変えることなく、むしろその闇のなかへと消え去ってしまったあとでも、忘れがたく光かがやいている。
 エンジェルビーツは世界を変えるだろうか? アニメの歴史を変えるだろうか?
 もちろん、アニメの歴史は変らない。エンジェルビーツでは変らない。

 しかし、あるいはその(ある意味しょうもない)破壊性によって、見るものの心にいつまでも残り続けるかもしれない。