第六話「梅雨!」

 序盤のバックステージパス(のシール)は一体何の冗談なのか、というのはともかく、唯が軽音部に所属して、ギターを買ってから三年目にして始めて梅雨が来たかのような第六話。

 ようするに『けいおん!』において一年と二年の出来事をほとんどダイジェストのような勢いですっ飛ばしてしまった弊害がここにきているというわけだが、修学旅行のときとおなじく、以前はどうで、今回はどうなのか、という過去を踏まえて現在があるという視点の異常ともいえる欠落は一体なんなのだろうか。いくら唯でも二年も梅雨時のギター運びを経験すればそれなりに対応策を学ぶだろうに(というか、どんなバカでも一日二日で学ぶはずだし、もし学べなくても、良妻賢母な妹様がいらっしゃるのだから、いくらでも対応策を考えてくれるはずである)。
 過去を踏まえてということで言うと、音楽一家の出であるからして、あのメンバーではいちばんそういうものに引っかかりにくいはずの梓がネット通販で変なものを買うエピソードもどうにも不可解ではある。本当に必要なものなら最初から家にありそうだしね。
 
 これはつまり視聴者にも過去と現在のつながりなぞは考えずに見ろ、あくまで平板な現在のみを楽しめ、というメッセージなのかもしれない。実際、演出や各キャラのリアクション芸自体は安定感あって出来は悪くないのだ。二年生トリオの使い方も出過ぎず、埋没しすぎずのいいバランスだし、梅雨どきの適度に待ったりとした雰囲気の作り方とかはかなり好みである。
まあ、あの憂が二日も前の食べかけの皿を放置するとは到底思えないとかそういう細部の粗さは、これはお家芸としておこう。

 「軽音部」での演奏シーンはぎりぎりまで出し惜しみするつもりっぽいのはそれはそれでいいとして、いっこうに音楽を「聴く」ことをしない人たちなのはもうすこしなんとかならないんでしょうか。「あめあめふれふれ」をBGMにメンバーの雨の日の過ごし方を見せていくシークエンスでも歌ってる人、本か雑誌を読んでる人、出かけてる人、歌詞かいてる人、楽器いじってる人しかいない。笑われた人、呪われた人、並ばされた人とかはいなくていいので、音楽聞いてる人はいてほしかった。あなたがたは幸いであるのだから。

 ところで、けいおんメンバーに対するほかの生徒たちの、微妙な距離感のある対応が「仲の良いクラスメイト」に対するそれというよりは「嫌いじゃないけどあまり近づきになりたくないクラスの変人たち」に対するそれっぽいのは、ある意味リアルだが、しかしそういうリアルは必要だったのかしら。