第七話「すべてはアドウェナ・アウィス号の船上ではじまる」

千七百十一年の話。タイトルどおり、本編の主要パートをしめる千九百三十年代の事件の発端にして、その事件の背後でうごめく人々がいかにして不死を得たか、をつまびらかにするはなしなのだが、ここでもまた、錯時法を使いまくる。具体的には悪魔召還後と召還前、さらには召還後でも爺さん暴走露見後と露見前、という具合で、なんかもう一話につき三回以上は話を行きつ戻りつさせるまではシナリオが完成したと認めないと申し渡されているとか、宗教的信条により時系列どおりに物語を語ることができないとか、外野には把握できない得体の知れない圧力により、そのようになった、と思いたくなるような無意味きわまる混沌ぶりで、はっきりいって、作中のどんな謎よりも、作り手がこのように語ることを決めた動機こそが一番の謎である。
内容的には、ほんとうは三話ぐらいかけて、この、ひと癖もふた癖もありそうな乗客たちの描写をやりたかったんじゃないかなと思わないでもないぐらいのドラマチックな奥行きの期待できるお膳立てと登場人物であるのだが――「帆船での悪鬼の跳梁」という、二十世紀編の「豪華列車バトルロワイヤル」と対応する巨大密室旅客機関サスペンスになるわけだ――、あまり外伝が長いと本編を忘れてしまうし、一クールのでは多少の圧縮は無理もないことでもあるから、まあいい、としましょうか(悪魔の口真似ではない、念のため)。大体このスタッフだと、十八世紀と二十世紀の同時進行までやりかねない。
 にしても、ここで出たキャラ、今までのキャラ、ここで出た謎、今までの謎、もろもろの展開、そのすべてがあと六話でぴたりと一点に収束するようにはとてもとても思えないのですが……。