第十八話「Rainy Blue」

 パーヘクトに振られるカイくん。あわれなり。カムバックのときがあるのか、あるいは(考えたくないけど)コウイチがマオによろめくための後押し係に任ぜられるのか。
 それにつけてもマオのパートは面白いぐらいに少女漫画で、自分を好いてくれるイケメンを振るとか、そういう「ギャルゲー」を期待する層を排斥しまくる展開――だって、自分が好きで相手の機嫌をうまくとれれば「攻略」できるのがギャルゲーなわけで、選択権がすべてヒロインにあってプレイヤーにできることは何もない、なんてのはゲームとしては考えられない――は、潔いとすらいえる。
 問題はそれがこの群像劇全体を巻き込む不幸の渦の端緒になりそうなところである。雨降って地固まるとなれば、問題ないんですけどねえ。今回のラスト辺りを見ると、もはやそれは希望的観測どころか、妄想の領域に近づいているような気がするが……(案の定コウイチは揺れているし、星乃さんの描写からするに、彼女のほうから物分りよく勝手に身を引く展開がありそうでいやだ)。

ふたまたサッカー馬鹿のパートはお見合いおばさんのようなサキノさんのほうに話の重点が言っている感じ。脚本家もサッカー野郎を把握しかねてるのかもしれない。
 そうでもなければ、「すこし話せるかな」と聞いておいて、棒立ちでそのまま会話っていう、ギャルゲー的なリアルからも程遠い場面(ガンダム00的リアルとは近いかも?)を、そのまま放置しておかないんじゃないかと思う。ブランコの子供と水銀橙さんの過去とのオーヴァーラップをやりたいにしても、せめて木陰かベンチで話すぐらいの配慮がほしいところ。「刺激的な味」のコーヒー、とかもそうだが、よくわからないキャラだからもうとりあえずノルマのイベントをこなしてしまえ、的な投げやりさがそこかしこに見えます。

 にしても水銀橙はいつ見ても服装がおばさんみたいなのはなんとかならんのでしょうか。いや、わざとなのかな? 自発的なファッションというよりは、家においてあるもの、目に入ったものをとりあえず着ている、というかんじ。手近に外出着がなければパジャマでも出て行きそうな危うさがある、という。
 それが深読みに過ぎないにしても、対人能力の低さ、異常な思考回路、過去のエピソードや、味覚障害等、仔細が明らかになるほどに、心の病という線が濃厚になってくるようにみえるのは気のせいなのかねえ。

 サブタイトルは何の引用ということはないのでしょうが個人的には氷室京介の曲を思い出しました。今聞くととっても九十年代テイストなところが、現代が舞台であるのになにか昔懐かしい本作と共鳴するところがあるような、ないような。