第十五話「Now’s the time」

 タイトルはまんま曲名なのでした。バンドメンバーの言及の仕方が無理矢理だし、今回だけ引用ってのがなんか座りが悪いですが。どうもこのスタッフは心情描写以外がおそろしく適当なのがいけません。

 その姿勢はたとえば、三系列中の最重要ライン、星乃コウイチパートでの星乃さん降板劇にも現れていて、下読みも立ち稽古もしないで撮影とはあほすぎるぞ、映研の皆さん、と誰でも気づくレベルで描写と段取りづくりの手抜きをしてしまう、という困った結果を生むわけである。時間がないといったって、ああいうやり方をしてれば時間なんていくらあっても足りないわけで。星乃さんをヒロインの座からおろすため(あくまで、映画の、ね)であるのはわかるのだけど、あまりに姑息でしょぼいやりくちなので見ていてしらけてしまう。そういう細かい計算を必要としない、バカップルの海の場面のラブラブなやりとりの描写なんかはとてもいいんだけど。

 ほかの二系列はいまいち進展なし。サッカー野郎は本当にナチュラルにふたまたかけいて、自分がなにをしているかの自覚症状がないだけに伊藤誠より悪質かもしれない、とか、マオはスタッフの悪魔の手により光一のほうばかり見せられているのはどうにもやりすぎで、やればやるほど普通にサックスマンとくっつけばよいのに、と見えてくるのは計算違いではあるまいか、とか、いろいろ気にかかるところはあるけども、まだ面白さにもつなまらなさにもつながってないかんじである。近衛フミナと水銀燈はどうも扱いかねているようにみえる。