第一話「私……涙、あげちゃったから」

絶望的に絶望的でない絶望先生のあとに、絶望的に絶望的な空気が居座るアニメが始まる。TVKさん、順番逆にしてくれないかなあ、来週からは録画してハヤテの前に見ようかなあ、いや、朝からこれはきついかなあ、などと心の片隅で思案しつつ、目は画面に釘付け、陰気な気配に飲まれたまま最後まで見る。変なサブタイトルに脱力したのが、最後の和み時間であった。

はい、以後は、一貫して重苦しかったですね。キャラクターのおかれている状況や、起きるイベントは、とてもエロゲー/ギャルゲー的で(原作はエロゲーだそうな)、作りようによっては田舎を舞台にしたのんびりしたラブコメハーレムになりそうでもあるのに、空カットやせりふや音楽のない、環境音だけのシークエンス等、「間」を多用した演出、些細なしぐさや発言で、田舎の閉鎖的な空気や、全て円満というわけにはいかないどうころか軋轢もそこここに見える人間関係をあぶりだしていく作劇によって、主人公達が直面せざるをえない「青春の光と影」を、嫌がらせに近いレベルで視聴者に提示する。
 そういえば、監督の西村純二は『シムーン』でもぎすぎすした人間関係をねちこく描いていたのだった。あちらは最終的にお互いへの理解と信頼の結果、相違点を認めつつ、皆が皆歩み寄ろうと努力するという、ある意味理想的な解決策を見出していたけど、こちらはどうにもそういう丸く収まる解決にむかいそうにないのが恐ろしい。いや、最終的には丸く収まったとしてもそこまでに何があるのか、あまり考えたくない感じ、といったほうが正確かもしれない。
展開としては、「飛ぶ(あるいは飛んでるふりをする)」ことによって軋轢から逃れようとするノエと、「縮こまる」ことによっておなじ結果を得ようとする名塚香織という対照的なヒロインを、主人公が自分とおなじ位置に立たせるか、タイトルやノエのせりふに絡めて言うならば、涙を流せるようにするか、という話なのだろうけど、この重苦しさではお約束にのっとった解放劇をみせても、誰もついてこないだろうし、作る側だってそんなものを見せるつもりでわざわざ実写劇に近いテンションのドラマを構築したわけではあるまい。毎回いやな気分になりながらも固唾を呑んで見守るしかない、そんな予感をかきたてる第一話でありました。上手くいくかどうかは、御代は見てのお帰りってところですね。