最終話まで

 二千七年のアニメで一作選ぶとしたら、これ以外ない、といえる出来映え。絶望先生瀬戸の花嫁も楽しかったけど、あれらは良くも悪くもプログラムピクチャー的な作劇であり、その年を代表するような作品に「ならない」ことのほうが、むしろ名誉と言えます。食卓に並んだメニューで御飯が一番美味しいようでは、いろいろな意味で不味い、ということですね。
これは毎週見るのでなく、最初の数話以外は、一週間ぐらいでひといきに見たのですが、すばらしい一週間でしたね。まず、レトログレッシブでありながら、近未来を感じさせる――さながら学園戦記ムリョウの数十年後というような――サイバーパンク描写にひきこまれ(サッチーフィギュアは出ないかね)、「おやじ」に萌え、ついで中盤の「のび太の恐竜」やら「天地創造日記」やらといった、藤子F不二雄作品へのオマージュがきらめく短編シリーズに感激し(ニーチェネタなんて、F先生がいかにもやりそうだ)、中盤以降の畳み掛けに一喜一憂しと見事に作者の掌で踊らされていたわけだけど、同じアホなら踊らにゃ損々と胸をはって言える作品でありました。

 作劇的には、かなりマニアックなSFガジェットを駆使しつつも、その内容を百パーセント理解する必要がない――ジュブナイルとしても十分見られる構造になっているあたりが見事で(といっても、実際にどれくらいお子様の視聴者がついてきているかは謎だけど)、デンスケをめぐる終盤の展開は形としてはペットロスもののお涙頂戴話のバリエーションであると同時に、物理的に接触不能なデータ存在であるデンスケとの「接触」が、ヤサ子達も電脳体のみになったために可能になった、というSF的にも鮮やかな論理のアクロバットをなしとげ、感動させつつ感心もさせるという一筋縄でいかない仕掛けが心憎い限り。反面、イサ子をめぐる物語は、謎を解く過程の手際のよさはともかく、ドラマ的にはいかにも「男の考えた少女像」という感じ――これはヤサ子の造形にもいえることだけど――で、いささか陳腐に過ぎた嫌いもあるとはいえ、作品全体のレベルの高さからいえば瑕疵でしかないでしょう。オヤジが思ったほど活躍しないとかも、ないものねだりですね。バトルアクションものとしてみても、中盤以降の「新型」のまがまがしいばかりの活躍やクライマックスの旧型対新型のバトルなんかは二千七年屈指の「燃え」だったのではなかろうかしら。見た目が派手でも、やってることは「大きい声を出したほうが勝ち」の螺旋バトルとは本質的に違う興奮があります。あちらはまだ全部見てないので、一概には言えないですが。

 脚本、監督、設定の磯光雄氏については、その将来に期待もある反面、とても高いハードルを自ら設定してしまっているので、あるいは低迷の未来しか待っていないかもしれない、要するに一発屋に終わってしまうかもしれないという不安もあり、でもこれだけ物を作れたのだからもう充分じゃないかという、外野ならではの無責任な気持ちもありで、とりあえず今後の動向は要チェックでありましょう。