第六話「ステーションE-1077」

 キース編スタート。新入生なのにおっさんくさいキースたちの姿に、冒頭から気分が萎える。竹宮恵子というより青池保子のキャラっぽいぞ(いや、青池保子が駄目というわけではなく――というかむしろ大好きですが――世界が違うという話)。しかも、見た目だけでなく、キャラもおっさんくさい……あの、クールだが皮肉屋でけっこうかわいいところのあるキースはどこにいったのかと、原作ファンとしては文句もいいたくなるところだが、それぐらいの改変は大目にみたいところ。笑っちゃうぐらいへちょい、「悪いエリート上級生」もまあ大目にみたい。
 がしかし、キースが過去の記憶がないことを、特になんの感慨もなくべらべらしゃべることは大目にみられない。記憶がないことが彼にとって自明のことであったなら、他の人に記憶があることが以上であったはずで、そこに違和感が発生するはずだし、逆にないということに自覚がなかったならば、原作のキースがそうであったように、ないという事実にやはり違和感を覚えるはずなのだ。いくらアニメオリジナル解釈、オリジナル展開を作者が認めているといっても、それはでたらめなキャラクター作りへの白紙委任状ではないはず(もしこのシナリオで作者がOKを出しているとしたら、残念ながら、かつての鋭い竹宮恵子はもういないということなのだろう)。
 だいたい、キースは無感情でもなければ、無神経でもないのは、ちょっと原作読めばわかるのになあ。原作ではしつこいぐらいに描写してある「生徒たちのマザーへの依存」もはっきりしないし、あれでこの後の展開に説得力が出るのが非常に不安だ。本当にこのスタッフは原作のファンなのか? 昔の映画版のほうがよっぽどまっとうに「地球へ」をやっていたぞ。船外救助の場面とかは、それなりにサスペンスを持って描けているのだから、決して無能なチームでないと思うのだけど、基本方針、特に作品の捉えかたに問題があるような気がする。ベタに台詞を引き写すだけが原作を活かすことでもないし、無駄に設定をいじくることが「現代風に刷新」することでもない思うのだが……。