第五話

 これはもはや地球へではない。原作者監修つきでなぜこうなるのか謎なのだが、現代の視点で作り直すとは、どうでもいい枝葉を膨らまして、原作のいいところを台無しにすることなのだろうか。
 たとえばソルジャーブルーがなぜのうのうと生きているのか。オリジナルで膨らませるならば、原作での大きな飛躍箇所である、ブルー亡きあとの、不安と恐怖の中にある同胞をいかにジョミーが支え、彼らを率いるリーダーとなっていくかという展開ではないのか。後見人がいる状態での「新しいソルジャー」なんて、ぬるいにもほどがある。

 セキレイシロエがミュウであった、というエピソードなんかは、原作をちゃんと読んでないんじゃないかとすら思える。あるいは原作を活かすつもりがまるでないのか。少なくても原作では、シロエというキャラクターは彼自身はミュウではまったくないのが重要なファクターとなるのだが、そのあたりを理解しての改変なのだろうか。たんに、人間のなかに、無自覚でいるミュウをジョミーが救出しようとして叶わない、という話をしたいのだったら、別のオリジナルキャラを出せばいいのだし、あえて原作のキャラで因縁の輪を作りたいのなら、もっとふさわしいのがいるじゃないか(ネタバレになるので名前は掛けないけども)。少なくとも今のところ、ここでシロエを出したりする意義はまるで見えないのである。
また、ジョミーがシロエの記憶を消すのも、まだミュウとしては新米の彼にそんな微妙なことができるのかという違和感もあるし、そんな機転がそもそもきくのか、またその記憶消去はマザーコンピューターのやってることとどう違うのかという、見る側が誰しも思うようなことへの突っ込みが足りず、もどかしい。

シナリオの破綻も露骨で困る。たとえば、ジョミーの「集中力のなさ」を実際の戦闘中に発現させるくだり。訓練中に集中力がなくなるのは、それが訓練だから飽きてしまう、からでしょうが。まったく。現実の差し迫った危機を前にしても訓練程度にしかやる気が出ない、なんてどういう「見込みある男」なのであろうか。見込みないよ、それ。
お話としてみても、船が滅びるかどうかの瀬戸際で「集中力が持たない」などと台詞でいうのは、演出効果としても間抜けだし、そんなことを言うリーダーに誰がついていこうと思うのだろうか。やれやれ。

  次回からキース編だが、いまから不安がいっぱいです。まさか、キースが恋愛したりしないだろうね。