第三話

どうやら本格的にメメント構成で行くつもりらしい第三話。
錯時法というのは元来、たとえば映像作品で言うと件のメメント市民ケーンあたりがわかりやすいが、主題や内容をより効果的に表現するために使うもの(*)なのだが、これやハルヒに顕著なように、とくに内容理解には役立たないどころか、むしろ邪魔になるくらいなのになぜ使うかというと、ようするに、ツインピークスエヴァンゲリオン以降の、連続ドラマはとりあえず視聴者を煙に巻けばよし、という韜晦趣味の様式化と最悪の形で融合して、お手軽な客寄せスパイスにされてしまった、ということなのだろう。普通にやった場合そんなにつまらないのかと、嫌味の一つも言いたくなるところ。

今回の、直接話法ぎりぎりなエロシーンだって時系列順に見せられていれば、それなりの意味合いがあるのだろうかなとおもわないでもないが、この流れだと、ちょっと飛ばしすぎで面食らうばかりだ(いろいろな意味で)。そもそも桃華が男装の麗人なのか、男装の麗人に見える男なのかすらよくわからない(原作ゲームを知っていれば自明なのだろうが、そういう知識に頼るのは論外だろう)ので、あのシーンでいったいどのような絡みが展開されていたのかすら想像できないわけである。え? 次回以降を見てからまた見ろ? そろそろ同じアニメを何度も見るのは嫌なわけですが……。これでせめて、ストーリー上に、大きな謎があって、時間をさかのぼることでそれに肉薄していく、という構成であるならば、まだわかるんだけどねえ。たんに連続ドラマの前回のエピソードがわからない、というだけでは、謎としてあまりに魅力に乏しいのである。

(*)メメントはいうまでもなく、十分前の記憶がないという主人公の境遇と視聴者をシンクロさせるためには不可欠な仕掛であるし、市民ケーンの場合、ケーンの歴史の再現ではなく、ケーンとは何者かが主題なので、過去のエピソードは時系列で登場する必要はないわけ。