第二十六話「あいぞめ」

最終話である。
なんというか、残念な結末でありました。

最後の最後で躓いたというべきか、ちょっと前からよろけ気味でここにきて堪えきれずに完全に倒れてしまったというべきか。いや、あるいはそもそも第二期自体が、とっくに倒れているのに「倒れていない!」と自己暗示をかけてやっている状態であったのかもしれない。
このシリーズがもともと第二期を作るつもりではなかったのではないか――第一期の物語の縦糸になっていた柴田親子を巡るエピソードは本来ドラマの完結のために用意されたもので続編決定によってその意味を変えられたのではないか――というはすでに書いたことだけれども、どうもこの結末を見る限り、推測は間違っていなかったように思う。

というのも、今回提示された閻魔あいの救済――復讐心の解消と憎むべき相手への赦し――とは、まさに、あいにとってのもっとも縁の深い柴田親子との葛藤劇において、実現されるべき性質のものだったからだ。タクマ少年は不幸ではあるが、あの程度の理不尽な悲劇ならば、過去の被害者にはもっとひどい人がいたのだし(看護婦さんとかね)、少年の身に何が起きようと文字通り他人事なので、あいが過剰に肩入れする理由も乏しい。作り手もその辺のことはわかっているから、地獄通信のルール等、シリーズの基本設定を次々と壊し、どう見てもつじつまのあわないきくりによる仕込み(きくりの行動がすべて蜘蛛――閻魔大王?――の差し金だとすると、あえてあいにルールを破らせるためにタクマを翻弄し、地獄通信を崩壊に導いたことになる)までして、なんとかあいの過去とオーバーラップさせていったのだろうが、ドラマ的には作為が目立つばかりで、あいの出した答えというのも雰囲気に任せてはぐらかすしかできない、という惨憺たる結果になってしまった。復讐の連鎖の否定はイコール犯罪者の放置ではないはずなのだが、この場合、地獄通信を悪用した人たちはある意味お咎めなし――現世しか見えてないからこそ、地獄通信を利用したひとたちであるわけだから、生きている限り通信利用による損はない――、というずいぶんなオチになってしまっているのである。
これが柴田親子との物語であるならば、あいが個人的に思い入れする理由も充分だったし、地獄通信の設定もここまで壊さないで済んだはずで、これはやはり、第二期自体が「かりそめの生」とでも言うようなものでしかなかった、という他はないような気がする。ただし、そのかりそめの生が、と充分に綺麗だった(というかタクマ編を除くと基本的なクオリティは一期をだいぶ上だった)のは、これまた、認めざるをえないのだけれど。

とここまで書いてきて、ふと思い出したのだが、そういえば第一期も、中盤あたりの好調ぶりをラストで一気に失墜させたんだよなあ……因果は巡る?
ただし、今回は続編はまずありえないので、もやもやが晴れることはないのでした。
まあ、それこそまさに『地獄少女』らしい終わり方であるかもしれないが……。

(*)必殺仕事人やラーメン屋の青年のエピソードからするに、きくりはむしろ、地獄通信を使ったものに生得はありえない、というある種、天誅を担当する存在――ムアコック風に言うと「天秤の騎士」の位置づけのように見えたのだが……