第十一話

満を持しての学園祭。なのだが、あんまり盛り上がらない。

まあ、「学園祭をやりたい」と思っていたのは生徒会だけだったし(ほかの人たちは乗せられただけのように見える)、ほかの人のやる気を示すにぴったりの準備期間の描写をあっさり通り過ぎてしまったのだから、宴の支度の充実感を視聴者に体感させる余地もなかった。描写的にも、ざっと流しただけだしね。とくに「祭りの楽しさ」を体感させるつもりもないんでしょう。まあ、視点人物が座っているだけの状態で「祭りを楽しむことが出来ない状態では、そのあたりを視聴者に伝えるのはそもそも至難の技なんですが(なら最初から、そういう話にするなよ、という言い方は当たり前のように可能である)。目を閉ざして耳を済ませるシーンで、それこそ「楽しげな音」を充満させて、映像的にもいつぞやのまなびの精神世界攻撃見たいのをおもっきりやれば、また違ったかもしれないが、なぜかその方面ではあまり気合が入っていなかったのだった。
なぜそうなったかというと、これは後半で明らかになることだが、作り手の興味がバンドのライブシーンにあったからだろう。これはこの場面単体で見るとけっこうよく出来ていたから。

ときに、このライブシーン、『ウィンターガーデン』でぷち子がうたう場面よりずっと例の涼宮ハルヒの学園祭の回を連想させるのは、なぜなんでしょうか。
曲が青春パンク(2035年にいまどきの青春パンク、それもさらに言えば90年代初期の復古調というのはあえて突っ込まないでおく)だからなのか、ヒロインが歌うのが予定外という展開の類似なのか、はたまた偶然なのか声優がかぶってる(これはクレジットを見るまで気づかなかったので関係ないかもしれない)せいなのか。よくわかないが、しかし、実写映画的というかただのロトスコープハルヒに対して、これでもかというぐらいアニメ的なデフォルメを駆使したライブシーン、というのはカウンターとしてはけっこう面白くて、ショーとしてはこちらのほうがはるかに活きがいいのは好感が持てる(*)。

ただし、これはあくまで単体で見てのことで、もし、いままで、このバンドメンバーを本筋に絡めておいたり、「生徒たちの学園祭への準備」「祭りの成功に向けてまなびたちの努力、こだわり」というのが、それこそ何話もかけて描かれていたならば、なかなかに感動的な場面になったのではないかと思うが、現状では「からっぽ」のまま、ハイよく出来た場面ですね、というだけのことである。もったいないはなしだ。
ウィンターガーデンのぷち子だってちゃんとバイトをしてギターを買ったとかの下積みがあってのあの場面だったのだ。

それにしても、まなびがうたう校歌というのは第一話から引っ張ってきたネタなわけで、作品的にはここがクライマックス、テーマの総括であるはずなのだが、そこでこれだけ盛大に空振り、というのは(いや、ボールは当たっていて豪快に飛んでいるけど、方向が違う感じか?)、作り手の意図、主張とは違ったところで、作品全体を象徴してしまっているのだった。理事長二人のおしゃべりなどは、ただのお題目である。ムナシキコトバノミガイマニノコレリってなものである。


 
(*)なお、ぶっつけ本番の初演奏曲でなぜアレンジまで決まっているかとかは、特別に問題ではない。ようするに、ミュージカルみたいなものであるので。