第二十一話「紙風船ふわり」

 骨女誕生のエピソードと、その超ロングスパンの後日談。
 過去編は救いのまったくない内容で見ていて疲れます。無茶とわかっていても、若旦那その他数名、地獄に流してすっきりする展開が欲しかった。そのフォローも兼ねている現在パートはそれなりに救いがあって、全体としては後味は悪くないのだが、でも起きてしまった悲劇の穴埋めがその後の人生をどう生きたかと「時間による忘却」以外、どうしようもないという、ごくまっとうな結論であるのは、それが正論であってもやはり、もやもやしたものは残る。そういう、もやもやを解消してくれるのが、地獄流しという復讐代行機関の存在意義だったのではなかったか。もちろん、作品のテーマとしては復讐の無意味性というのはそれこそ第一シーズンからやっているわけで、流れとしては間違ってはいないのだが、執行側からそういった認識が出てきてしまった以上、物語としてはいよいよ最終ターンに入ってきているのかもしれない。それは第一シーズンで曖昧に誤魔化してしまったことの総決算ということにも繋がるだろう。
 次回の冤罪になりかけた彼の再登場で、そのあたりを突き詰めるのかもしれないが……。
 
そんな重苦しいテーマ面とはまったく関係のないところで今回の地獄流しは楽しかった。金魚鉢に向かって口上を述べるあいの場面は面白すぎである。きくりのパートも含めて、スタッフ的にも息抜きのつもりであるのかもしれない。

そういえば、骨女が白骨死体のお化けでなく、無数の野ざらしの白骨死体の怨念を引き受けて生まれた存在だというのは、ちょっと目新しかった。「骨女化」のシークエンスはなにやらフランケンシュタインの怪物かジェイソンの復活のようだったけど。