第十八話「漂泊者の楽園」

アビさんの話のまとめ。

からくりの民の人は、紙鉄砲の攻略を法を伝授したぐらいで、ドラマ的にあまり出てきた意味がなかったのがもったいないところ。それどころか、お姉さんもそれほど重要では無い気がする。位置的にはこのシリーズのラスボスではあるのだが、「人をやめたもの=鬼」というわかりやすい鋳型にはめられて文字通り一閃されてしまうのだった。向こう側に魅惑される気持ちはあやしチームにとってはもっとも理解しやすい気持ちで、理解しやすいものはすなわち処理しやすいものなのであった。
そんなわけで、ドラマとしてのメイン、すなわち敵として強大なのはむしろ、山崎屋と山の民になりたかった農民の人ということになる。妄執と支配欲に生きる男と、知らないがゆえの憧れに生きる男。これは「言葉で割り切れない」。故に、あやがみ、すなわち言語化できるものを倒すことに特化したあやしチームでは、彼らは退治できないのである。彼らが半ば自滅のように死んで行くのは、あやしチームの限界であり、同時に、この作品全体を「理」で仕切ろうとしてしまうシナリオの會川晶の限界でもある気がする。
せめてお姉さんを「鬼」と単純に割り切らなければ――たとえば、「肉親」という理屈をこえたカテゴリーで捉える――、あるいはからくりの民のひとをもっと違う形で使えていたら、また話は違っただろうに。