第十七話「騎士」

大きく物事が動きだした十七話。

ゼロはランスロットの乗り手を知り、ランスロットの乗り手はブリタニア皇女の騎士に選ばれる。
後者はともかく、前者は、今までルルーシュサイドが、ランスロットは最強の敵であるという認識をしていた、というだけで、ランスロットの乗り手の正体を気にしたりした形跡がろくになかったせいもあり、ドラマ的なインパクトは乏しい。
最大の味方となるべき人物が最大の敵であることを知る、という極限の状態を描きだすには、「最大の味方」と「最大の敵」の両方の描写をきちんとやっておかなければ駄目で、今回の前半でやったような「スザクがかけがえのない友でありナナリーを守りきれる唯一の相手」という描写だけでは片手落ちなのだ。ただ「ランスロットは強い」だけではなく、最低でも「ランスロットの乗り手はたった一人の優秀な個人」「その正体は極秘」ということを作中でルルーシュたちが認識している描写がいれておくべきだったろう。描写の不足といえば、カレンの描写もそうで、カレンとスザクの印象的なエピソードがあるかどうかで、あの場面の彼女の動揺が視聴者への伝播の度合いがかなり違っただろうとおもう。

今回のような下積みがものをいうような場面で、ドラマが空転するということが示すのは、ようするに、下積みが出来ていないということなのだった。学園パートの描写がその分量に比べて、効果が挙げられていないのである。「萌え」なサービスカットばかり作ってもキャラクター描写とは程遠いのだった。(これは萌えアニメ要素を否定しているわけではない。その手の要素はやりかたによっては他の何よりも強力に「かけがえなき日常」の象徴とすることも可能なはずだ)。
あと、これはある意味仕方ないことではあるが、生と死をやり取りするような場なのに、トウドウ、スザク、ルル、カレンと知り合いばっかりが雁首つき合わせるのはちょっと困った。しかもそのシチュエーションから知り合い同士で戦う厳しさよりも、知り合いだから説得可能という、馴れ合い調を前面に出してしまうから、始末に終えない。戦争とか革命とかそれ以前の問題である。

トウドウとゼロの奇跡云々のやり取りもかなり恥ずかしい。ゼロのほうは、たかが高校生の寝言ということでどうにか言い訳も立つと思うのだが、それに説得されてしまう「徳も才知もある男」トウドウってのは、どうにも言い訳が立たないと思う。誠実を貫くということならば、過去の誤解をつくろうには、真相の暴露以外ないはずだし、無私の報国思想に殉じるつもりならば、詐欺師といわれようが気にせず使える権威は鰯の頭だって使うだろう。半端に誠実漢で半端に愛国者でなんてまるでモラトリアムの高校生である。いや、革命家なんて所詮自己陶酔に生きるだけの卑小な俗人という、遠まわしな嫌味なのかな、これは。

次回、またも総集編。ひょっとして、大体八、九話ごとに一本総集編をやっていくつもりなのか?