第五話「2月13日 こころとからだ」

私は小暗い階段を降りて行つた。階段の左右には本棚が並び、ハードカバーの本がぎつしり詰まつてゐる。書名は読めないが此の国の言葉で無いことは判つた。しかし其れを悠長に検めてゐる暇は無い。今はとても寒い冬なのだ。
階段の一番下は直ぐに扉で、開くと其処は一面の荒野であつた。風は冷たく、小雪が俟つてゐる。見回すと、高等部の制服にロシア製の毛皮の大きな帽子を被つた少女が、まるで此の場が秋頃の陽気に満たされているかのような、穏やかな表情で立つてゐた。
「百年待てば、牛の暮らしが出来るよ」
少女はそう誰に云うともなくそう口にした。さういうものなのかと私は思つた。



なんて夢を二日ぐらい前に見たのですが、それはともかく、今回は夢の話。
見た夢すべてをメモに採るほどのマニアではないにせよ、内田百輭とか夏目漱石黒澤明の夢の話は大好きだし(*)、見た夢でとても面白かったやつを忘れてしまうととても悔しい気持ちになるぐらい(なんていっても、見た本人が一度忘れてしまったら、取り返しがつかないからねえ)の夢マニアであるので、これはとてもうれしい。ビバ、シュール演出。
が、マニアならではのうるさいことを言わせてもらうと、その肝心の夢が凝った演出も含めかなり整然と構築されているのが、残念といえば残念。夢で起きる現象のキーワードはほぼすべて、ゆのがこの回で見たり聞いたりした事柄で、つまりきちんと「絵解き」できてしまうのだ。不条理なようでいてロジカル。破天荒な装いでありながら常に『計算』が透けて見えてしまう新房&大沼コンビの作品らしいといえばらしいけど、もう一息振り切れて欲しかったような気もしないでもない。

夢のパート以外は、百パーセント性善説な隣人愛というかほとんど擬似家族的な、いたわりと友愛の話で和む。変に生々しさを追求したりしない開き直りが、この雰囲気の良さを生んでいるのだった。
お得意の実写も今回は控えめで、悪くない。画面の隅の芋虫を使った遊びはつまらなくはないが、隠し味というには目立ちすぎという気もする。

そういえば、本来の隠し味のはずのリンクがはっきりしなかったな。新谷キャラが一種切れかけたのは今後の伏線なんだろうけど、芋虫つながりというのはちょっと苦しいし、一往あの贋の仏像が繋がっているということなのかな。

(*)最近だとやっぱりあれですね、『ARIA THE NATURAL』のやつ。押井守は、このコンビ以上に理屈重視なので、「夢の再現者」としては、断片的にいいところがあるという程度でしかないと思う。漫画だと高橋葉介ふくやまけいこの短編にも面白いのがあるけど。やはりつげ義春の「ねじ式」でしょうか。