第九話

 ううむ。結局こういう方向で走るのか。サイコサスペンス! フィアーイッツフィアー!
 言い方を変えれば、アニメ業界はいまだ二十世紀初頭の価値観で作られているということですが。

 主人公とヒロインのラブラブチュッチュラララチュッちゅなところは見てて照れるけど、そう悪くない。
 そんな激甘ラブラブパートの合間合間に不安を醸成するシーンを入れることで、サスペンスを作り出すっていうとあれですね、つげ義春の「海辺の情景」。

 その不安醸成のシーンである、ダークサイドに堕ちゆく幼馴染のほうはそれまでの描写がさっぱりなせいで、その喪失感に重みがないのが弱い。説明台詞と定番的なリアクションの積み重ねでそれっぽい修羅場を作り出してはいるけど、やっぱり空々しい。ドラマというよりは作中芝居のようでもある。
 とはいえ、ああいうシチュエーションでもらった八ッ橋はうまくないだろうなあと思わせて、その後それが捨てられている描写はそれなりに効果を挙げていたかもしれない。ただ作り手が狙ったのが、サイコキャラだったとするなら、失敗かもしれないけど(普通に失意の人がしそうなことだから)。

 ちなみに今回一番疑問なシーンは、お客にお茶を淹れされる主人公! いくら今までそういう関係だったからって、どういう神経をしているのかね。せめて後ろめたさから自分で淹れようする、それを抑えて霧乃がやる、ぐらいの段取りがほしいです。

 とまれ、ギフト=使いようによっては危険、というのが前面に出てきたので、修羅場とは別に、物語の山場に差し掛かってきたわけである。やはり、主人公がギフトへのこだわり(失ったものへの執着)を捨てる流れになるのだろうか?