第五話「人形の家 #2」

「私の人形は良い人形」シリーズの第二話。こっちは市松さんじゃなくて、西洋人形だけど。

人形の不気味さがうまくかもし出せていて、いい感じである。終盤に出てくる本体というか、呪いの根源のビジュアルにもう一工夫あればもっと良かった(高港基資の「天井のおばあちゃん」とか海にいた女ぐらい怖ければなあ)。

しかしお話の進め方はあまり感心しない。「地獄の家」敵にロジカルに怪異の正体を突き詰めていく構成はいいのだが、物語の根幹にある世界観――この世界において、霊能力やらお払いやらの位置付けがはっきりしないまま、話を進めていくのが問題。

主題であるゴーストハントを可能にするメカニズムの説明がないのだ。

ようするに坊主の真言や神父の聖書朗読がなぜ効果があるのか、ということですね。
宗教的世界観が真実だから、各種対抗策が効果があるのか、信仰心が強いから効果あるのか、ということである。前者だとすると、当然のことながら各種の神様が跳梁跋扈するとんでもない世界になってしまう。となると後者だが、そうすると霊能力とはただの心のエネルギー、すなわち超能力の一種になってしまうわけで、「ゴースト」の実在する世界観との兼ね合いが微妙だ。

もちろんそれがアウトというのでなくて、説明責任が作者サイドにあると思うわけである。せっかく基本的に一般人で知識のない麻衣を主人公においているのだから、彼女の正式な助手としての初仕事にあわせて、この作品ならではの怪異に対する態度をきちんと説明するいい機会だったと思うのだ。

それから前回も書いたように、同じメンバーがぞろぞろ集まって、それぞれに対魔戦を仕掛け失敗というパターンを繰り返すのもちょっと工夫がなさ過ぎる。

それにしても、今回もまた三話構成とは。もしかして残りもみんなこうなんだろうか。