第二十六話「うたわれるもの」

堂々の最終回。
「半神」同士の、どつきあいながらの、謎解きも兼ねた議論(あるがままにのハクオロと、ある種衆愚理論のディー)はちょっと無理があるような気もするが、勢いで押し切ったという感じ。声優の声による説得力という面もある。とくに池田秀一の、最終的に人を導いて「我と同じ高みに」というくだりは、傲慢さの中に物悲しさがあっていい。

 声優による説得力の増加という点ではラストの別れのシーンにとどめをさすだろうか。
小山力也の、王としての貫禄と友人/父親/恋人としての親愛を兼ね備えたトーンでの一人一人への卒辞。淡々とした演出がかえってそこに満ちた思いを強く伝える。
アルルゥ沢城みゆきは、作画のよさと相まってほとんど反則技(子供と動物は感動の万能薬だから)である。スティーヴンキングが言っているように、反則技とは、それが効果的だから反則なのだ。そして物語とは、効果があればそれでいいのである。これがもっとメジャーな枠の作品だったら、大向こうを感動させていたことだろう。
 そしてエルルゥ柚木涼香。ハクオロとの今まで抑えに抑えていた恋愛ドラマの側面を一気にはじけさせるクライマックス。ここで演出も一気に浪漫主義に。こういうところはやりすぎなぐらいがむしろ心地いい。初登場のSuaraの歌も美しかった。

とまあ、絶賛で終われれば気持ちいいのだけど、問題点ゼロ、というわけでもない。たとえば、前回感じたストーリー上の問題点は解消されなかったのが、不満といえば不満。
回想でのハクオロの暴走で、前回スライムがいたい理由はわかった。でも、いらないよね? すくなくても襲ってきたりして時間を消費するようなものではなかった。
同行してきたベナウィたちの見せ場、という見方もできるが、そもそもベナウィたちがくる必要がほとんどなかった。設定上、封印の儀式に必要ということであるのは理解するけど、そういう設定にしなければ(つまり改変しておけば)なんの問題もなかったわけだし、最後の別れの場面にしてもハクオロパワーを持ってすれば、その場に全員がいなくたって、会話はできそうだ(人間離れしているとはいえほぼ人間だったユパ様にだってできたのだから)。
ドラマ的にも、最後まで彼のそばにいたのは「家族」である、という風にしたほうが美しかっただろう。
もっとも、原作との兼ね合いを考えるとそう極端な変更はできなかったのだろう、とは言えるので、そう批判すべき箇所ではないかなとは思うけど、惜しいといえばやっぱり惜しい。

なんにせよ、きれいにまとまったことは間違いないし(性急さは最後までどうしようもなかったが)、半年の間、わくわくして見られたのも確か。アニメが終わったら原作をやろうかなと思っていたけど、しばらくはこの余韻を大切にしようかと思ったのでした。


そういえば、残念ながら最終回には出番がなかった(あまつさえ、死んでしまった)ユズハは、本編中ではついに一度も目を開けなかったな。OPの意味ありげなショットはなんだったんだろう。