第十三話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅴ」

まず、アバンタイトルで思ったことがある。ハルヒ、実はすでに長門キョンを取られていないか? 

 それはちょうど一緒に暮らしていることで安心していたら、テレテレとした気色悪い喋り方で喋る自己中先輩に幼馴染をとられ、空鍋で料理ごっこをするはめになったさる神経症の人とか、世にも恥ずかしい指切りげんまんおまじないで彼氏との永遠の愛をゲットしたと思ったら、暴走車による誠意のこもった整体マッサージを受けて三年寝太郎になり、その間に親友と思ってた女とか大谷育江そっくりの声で喋る実の妹とか恐怖の看護婦とかに彼氏を奪われてしまった、と或る絵本作家志望者とか、そういった人たちと同じ「隙」――気がつくと彼氏が側にいない症候群と言ってもいい――を感じさせるのであるが、どうなのであろうか。
 
 さて今回はいろいろと見所が目白押し――というか、映像作品としてみる場合には、全然まったく、スターウォーズシリーズにおけるエピソード1程度にしか面白みがないとはいえ、テーマ的にはシリーズを通して重要な要素であるので見逃してはいけない場面がいくつかあったわけなのだが。

 まず、ハルヒの「わたし涼宮ハルヒはいかにして平凡を憎み、宇宙人異星人超能力者その他非凡を愛するようになったか」告白は、これは「青春10代喋り場」のリアルな再現として、非常に素晴らしい出来であったということが出来るだろう。

 要するにだ、自分が平凡なので非凡になりたい、非凡なやつを見つけたいという至極まっとう、至極当然、かつ至極平凡な思考であるわけなのだ。

 昔こういう歌がありました。
「つまらない人たちのなかで、あなただけはとっても好きだよ」
 蜘蛛の糸をのぼって いつの日か見下ろしてやる!」
 そういうことなのである

 が、人類、とくに視聴者にとって不幸であったのは、世界あるいは創造主が、さながら限度というものを知らないサンタクロースよろしく、この平凡な人間に平凡でない能力を、無制限かつ野放図に与えてしまったという点にある。まったくもってはた迷惑極まりない。

 それにしても、ハルヒにも「親父」が存在したんだなあというのが今回のあるいは一番意外だったかもしれない。っていうか、その呼び方と共に違和感がすごい。推定するに百パーセントの確率で「お袋」もまた存在しているはずであるが、どうにもハルヒにまともな「子供」としての人生が送れているようには見えないのである。それはさながら紫に白のフリルのステージ衣装のまま自宅に帰るキッドことプリンスの姿が視覚に異常をきたしたかと誤解するくらい違和感の塊であるように。

 古泉のトークは、キョンはさっぱりわからないとか言っていたが、おまえの語りはある程度は本を読んでいる人間の語りなのだから、カマトトにも程がある。たいした意味も無く馬鹿の振りをするなと、強く表明したいところである。と同時にSFファンとしては、人間原理の話などはもはや基礎知識のレベルなので、いまさらながながとやられても困るということも表明しておきたい。
 それは言ってみれば時間SFにおいて「タイムマシンとは、未来や過去に自在にいける機械なのですよ」とか懇切丁寧に説明されているようなものであり、ミステリにおいて言うならば、「アリバイとは現場不在証明のことである」と解説されるというようなものであるのであるのだが、とはいえ、ここで非SF者をおいてきぼりにするのは作戦としては得策ではなく、つまるところ説明ははぶくわけにはいかないないという、非常に面倒なところなのであるのは同情してもいいことである。もっとも、理解してない人間に理解してもらうような工夫があまり無いようにも思えるのだが(巧い説明というのは、既知の事柄でも傾聴する価値のあることもあるのだが、この場合がそうでは無いのは言うまでもない)。
 ともかくも、そうやって視聴者ごとの理解度の差を埋める時間に、SF者(彼らは話半分で聴いても充分であるので)の目を楽しませるために作られたとおぼしき、タクシーの背後へ流れ行くCGで作ったマッチ箱みたいな町並みは、楽しませるどころか和ませてくれる微笑ましさで、素晴らしいものであった。しょぼいCGも使いようなのである。

 さて、ついに説明される使徒もどきも、閉鎖空間と同じくハルヒのフラストレーションの産物であるのだが、超人野球の回でなんとなく示されていたとおりの内容を丁寧に繰り返すだけで、これまたなにを面白がればいいのかさっぱりわからないのであったが、古泉達の戦いのイマジネーションの乏しさを目にするにあたって、これは実はハルヒの想像力に乏しさを示した奥深い演出であるのだと理解し、なるほどやられた、と棒読みで音読したくなるような気持ちになる。
 そう、神人の周りを蚊か蝿のように飛び回って戦うのがあまり戦っているように見えなかったりするのも、閉鎖空間が『シャナ』の封絶とか『X』の「結界」と違って、破壊は後を引かない(一つ壊すと空間が広がるってどうも関連がわからん)ご都合主義も甚だしい便利な空間であったりするのも、全てそういうことなのである

 そして、どんな異常な事象も全て「ハルヒさんの力です」というのもそうなのだ。だってハルヒが理屈を考えてないのだから。それを探すのは、間違ってインク壷に足を突っ込んでしまった猫さんのペイントアートに意味を見出そうとするのと同じ位、無為な試みであるといえる。見事なブラックボックスの設定であるとおもう。

 ときにみなさん、世界をいちばん簡単に救う方法を教えてあげましょう。ハルヒを殺すことです。
そうすれば二度と閉鎖空間は誕生しないし神人も顕現しない。仮に世界がハルヒの見ている夢であっても問題はない。それは単にもともと夢であったものが消えるだけのことである。

 次回予告、元ネタがあるのは判っているし、当然そちらのつもりで言っているのも理解しているが、それでもやっぱり「風呂に入れよ、歯を磨けよ」ときたら、「パンクだけは聞くな」と頭のなかで繋げてしまうのは、ナゴムコレクションの発売で久しぶりに筋少がブームになっている人間の悲しい性なのであった。