第八話「水の向こう側」
どうやらここまでで、覚醒編という感じ。
データでも人間、僕らはみんな生きていると、まあ当たり前のオチである。
「もったいぶって最後は愛かよ」なんてメタとも、他アニメへの批判とも取れる嫌味を言って、あとあと跳ね返ってこなければいいんですが。
っていうか今回のオチがまさにそれだったというのは悪い冗談なのかしら。
前回感想のときもちょっと書いたとおり、デジタルもアナログも究極的には違いはないので――アーサー・C・クラーク風にいえば「充分に複雑なデータを有するデジタルな虚構は、アナログな現実と区別がつかない」――、その結論自体は間違っていないのだが、哲学に明るい主人公、という設定を活かしきれたか、というと、これははっきり活かしきれてないですね。
ようするにキョウ(*)の「悟り」は、暖かさや、感情の存在を「真実」のよりどころにしているわけなんだけど、それらの存在はそれ自体がデジタルなコピーであることを否定しないので(というかデジタルなコピーなので)、悟りの根拠には実はならない。
彼の主張は、あの世界が作られたもの、模造だからアウト、だったはずなので、それすらも否定しないと、本来はおかしい。ちょうどマトリックスシリーズが、現実より優れた虚構さえも否定したように(最終的には上手く否定しきれず、逃げましたが)。
そのレベルの議論を越えて、つまりデジタルであることをそのことをもって否定しないで、現実とはなにか、と考えてようやく悟れるはずなのではなかろうか? まあそんなことしてたら、ロボットアクションする暇なくなっちゃうし、座って悩んだり対話してるだけ、みたいな話になりかねない(まるでフェイ……いえ、なんでもありません)から、子供の視聴者も見当に入れて作っているはずの夕方のアニメなら、これぐらい安直でいいのかも知れない。キョウ君は理屈じゃなくて「まず信じたかった」と、デカルト云々は脚本家がちょっと「知ってるぞ」アピールをしてみたかっただけで深い意味はない、とそういうことにしておこう。
傭兵カップルはいまにも死にそうで怖い。
三人組はほとんどホモ漫画のノリで告白。そっち方面のお客さんも狙っているのか? ゆかなキャラ、ピンチ。
あと漁礁を作るのはいいけど、ビーム攻撃は環境破壊なような?
*書いていて思ったが、これ「今日」のダブルミーニング?
なお、舞浜関係の登場人物は皆、海関係のネーミングなのはさっき公式サイトを見て知りました。
唯一、キョウの姓「ソゴル」がなんなのかわかりません。韓国、朝鮮関係の名前にはあるみたいだが、もしかしたらこれも海関係の言葉なのかも。