第六話「綿流し編 其の弐 タカノ」

なんか原作を淡々と消化しているだけでテンションも演出も死んでます。
 とくに、土蔵のシーンは視覚的にも弱いし、原作のなかでも結構いいシーンである、「詩音にしか聞こえなかった音」が怖く演出できてないのが寂しすぎる。
 追記しておくと、この土蔵のシーンは、「読む」怪談であるということは可能。乏しい情報から触発された想像の世界にこそ、真の恐怖、不気味さがあるという種類のエピソードということだ。かの怪談の傑作シリーズ「新耳袋」もドラマにすると結構しょぼい話が多くなるのは、そういうことである。言葉だけでなく、映像、音、と情報量が多くならざるをえない映像作品ではどうやっても効果が減じてしまうのである。