第三話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅱ」

短縮版。

 1 セクハラに強奪。度を越した悪事の描写は視聴者を引かせるだけです。もうすこし楽しい詐欺で横領できないものか。これだったらしょうがねえやっと江戸っ子的な「だまされ」の快楽に浸れるような。

 2 その犯罪行為をシニカルなんだかクールなんだか斜に構えたトークでだらだらと語る主人公だが、もう少し止める努力をしてくれ。かならず失敗に終わるとしても、ただのポーズでも、そういうことが主人公としての品位を保つポイントになると思うのだが。あと、日常でもあのスタイルで話すのはかなり痛い人です。

 3 時折あるおしゃれっぽい演出は、時折寒い空気をつくっているだけです。

 4 お茶のシーンの距離感が微妙。詳細はこちら

 5 次回は7話? 今回の話の続きは?

 6 キョンハルヒにみくるに長門さんと何気にハーレムを形成している気がしました。









長尺版。(時間と寛容の精神のある人向け)



 というわけで第三話が放映され、しかし体感的にはまだ第二話であるような心境であり、というのも第一話が実質本編でない番外編だったからで、そのうえ現時点でちゃんと説明された登場人物はいまだキョンハルヒとみくると長門さんの四人のみという悠長なペースという、さながら一話十六ページの漫画の第一話をまだ八ページ分しか渡されていないかのような理不尽な欠落感を、全ての視聴者に有無を言わせず押し付けるものに他ならず、まさにそれこそがこの俺の感じていた印象そのものであったわけなのだが。

 だからって次回は第七話って飛ばしすぎじゃないのか? また説明ないまま古畑もどきや喋る猫が出てくるんじゃないだろうな。勘弁してくれ。

 というような問題点は、無論作り手たちはわかった上でやっている筈であり、毎度毎度キャラクターの服をぬがしたりして視聴者に媚を売ることも忘れないのはすなわち、予想されうる反発を緩和するべく行なわれる、ご機嫌伺いの行事なのである。にんじんで馬車馬をしつけているようでもあるが。

 これが視聴者の気持ちを玩ぶことで、そこに本来あるはずもない特異性と稀少性を与えようという錬金術的つまりまったくもって詐欺紛いの手法であることは、いい加減周知のこととなっているような気もする今日このごろであるが、彼らスタッフ達は自信満々でいるようである。気の毒なことだ。わかってみるとまったくもって他愛ない粋がり、それはまさに虚勢にすぎないのだが。

 そう。物語自体は今のところいたってシンプル。日常から逸脱するヒロインとそれを見守る主人公の、今風のボーイミーツガールに過ぎないというのが現実で、それ以上でもそれ以下でもないというのが実情である。今回明らかになった事実――すなわち、何十人目かの綾波レイである長門さんが言うところに拠れば、彼女はまさに逸脱者、地球外知的生命体の一種である――をもってしても、そこから、異質なものについて大切なことはそれが異質であるということだ、というようなシリアスなSF的なテーゼが示されるはずは無論なく、むしろ彼女らあるいはかの猫(多分)らの本質的な異質性を無化していく方向で物語が進行していくであろうことは、薄氷の上でタップダンスを踊るジャイアントパンダの未来を案じるよりもたやすく想像できることであり、テーマ的な興味は無論そこにはないだろうということは、この所詮凡人にすぎない俺にもわかることであるのだが。

 それにしても今回のエピソードにおいて示された登場人物の関係性には、ブレーキのない自転車で下り坂を全力疾走するような不安感があるのは気のせいだろうか。具体的にはキョンの態度である。

 『成恵の世界』におけるカズちゃん、あるいは、『見捨てないでデイジー』におけるデイジー、彼あるいは彼女に共通するのは、暴走する逸脱者をくいとめ日常に近づけていく役割であることなのだが、キョンはまったくそうではないのである。どころか、傍観者を決め込み何もしないということで消極的に加担しているのが実像であり、っていうか一層たちが悪かったというのが本当のところであるのだが。

 たとえば、パソコン強奪もバニーガール強要も本気でとめる気になればいくらでも止められたことであることはキョンにだって判っているはずであり、にもかかわらず、それをしないのは、彼が被害者ぶった語りとは裏腹に、強奪も、擬似レイプも、ハルヒの着替えも、バニー姿も実は大して悪いと思ってないことに他ならない。っていうか、着替えとバニーは思いっきり喜んでたし。それでいて、ハルヒが着替え出すと純情少年ぶって部屋から出るとか、白々しいにも程があるわけなのだが。

 いや、これは不眠症のPTAのおばさんのようなモラルと意固地に凝り固まったキャラクター批判などではけっしてなく、そこになんらかの意図、狙い、方針、トリック等が潜んでる可能性を認めることにやぶさかではないのだが。

 っていうか、視聴者にこいつらについていけねえって思わせちゃったらやっぱり作戦的に負けなんじゃないか。ハルヒはまあそういうキャラだからある意味しょうがないが、キョンも、日常でも語りと同じのりで喋ってるんだもの。あれ現実にいたら絶対変な奴だよ。

 あと演出に凝っているわりに細部が微妙なのはどういうことなんだ。ラストのお茶の場面とか。詳細はやはりこちら