第三話
さむい。
演出と作画は頑張った。でも無駄な頑張りだと思う。
前回ちょっと書いたように、話の視点がはっきりしないという原作の欠陥をまったく緩和できてないから。
簡単に言うとこういうことだ。
ごっこ遊び、茶番劇の面白さという観点からすると、皆の演技が「自然すぎる」から、全然茶番っぽくないし、「高野製作の映画」としてみると、キャラクターが「原作」に準じてないから違和感バリバリ(播磨とか)、しかも話は「茶番劇」風に良くあるパターンの寄せ集め。おまけにつまらん。
つまり、映画=シリアス風虚構と茶番=パロディ風虚構が混在していて、どっちの見方をしても破綻するのだ。
これは見るがわとしてはたまったものじゃない。ここは映画もどき、ここは茶番劇、みたいにその場その場で適当に路線を変えられたら、どうしていいかわからないだろう。そのつど都合よくスイッチを入れ替えるなんてことは出来ないのである。感情移入ってのはそれなりの手間がかかるのだ。
そんなわけで、いけどもいけども居心地が悪い。風が吹いている(By町田康)。そんな三十分でございました。