第六話「てのひらのたいよう後編」

 結局主人公が肩入れした側が全滅して終わる、バッドエンドパターンなのでした。うーむ。Aパート「この村がはやらないのは呪いのせいじゃなくて食い物がまずいせいである」とか人名トランプとかそのトランプのBADなマイケルとかのくだらない空気がとてもよかったのに、そしてそのままシリアスっぽい展開をコケにして終わってくれればよかったのに。
 十四歳と拳銃にナイフを使いこなすサイコパスな殺人鬼な七、八歳に、人間とは人生とは許しとは救いとは、みたいなことを語りあわれてもこまるわけである。
 もちろん物語の主眼が「ラゼルの出会った人々」ではなくて、「いろいろな人々に出会ったラゼル」であると考えれば、ラゼルにさまざまな反応を引き出すための仕掛けとして、いつもハッピーなオチである必要はないどころか、喜怒哀楽さまざまなオチがないとヴァリエーションに乏しいとすら言えるのだけど、強引なバッドエンドは、強引なハッピーエンドより視聴者を首肯させるのは難しいことぐらいはわかってほしいところ。