第四話「ナミダ」

 ガールズ トツゼンオトズレテ 
ヘイキッズ トオリスギテ ホホニヤサシイ カゼニナリ
 オオ ツキサス ナミダ ニモナル
 ガールズ トツゼンオトズレテ ヨウセイハ ヨアケニサル
 マイハート トキニサマヨイ マルデ アメニナガス ナミダ ノヨウ

 なんて日本語の歌を昔デヴィッドボウイが唄っておりましたね。メロディや演奏は悪くないのに、アプローチがおかしい(ようするに歌詞がカタコト発音)せいで、すべてがギャグになってしまっているところまで含めて、マルデ コノハナシノ シュダイカノヨウ。
 
 さて、四話目にして、早速シゴフミでなくてもぜんぜんかまわない話を持ってくるのはいい根性です。ふつうに「駆け落ちしてその後亡くなった母親から手記が送られてきた」でまったく支障がない話なんだもの、これ。
死んだあとの人間があえて書く本当の気持ち、というギミックの必要が全然ありません。こういうのってもっと後の方にイレギュラーな形でやらないか? まあいいや。

 ついでに言うと擬似同性愛っぽい設定もあんまり必要ない。憎んでいた母親と似た女とそういう関係になる、というのは、主人公のわだかまり――二律背反な感情の存在をほのめかしたかったんだろうが、二人がどれくらい深い絆で結ばれているのかとか、主人公が自分の気持ちをどう捉えているのかとか、そういったもろもろの描写が致命的に足りないし、物語の進行見ればわかるとおり、相手役は仲のいい友達で充分である。二人の愛情と、母親との話の対比を描くならともかく、これは、シンプルに主人公が否認していた母への気持ちをいかに受け止めるか、というはなしなのだから。 
 
 だいたい、ここでさらに配達人側に新キャラを出す意味がわかりません。ただでさえシリーズ展開描写のおかげで本編が淡白になっているのに、さらに無駄な漫才をやってるおかげで本編の時間がますます削られ、男と逃げてその後捨てられて気の毒なことになったはずの母親が何を余裕かましてすべての試合を見に来ているのか、とか、前述したような主人公の描写そのものが乏しすぎるとか本編の描写に無理をいくつもつくったうえ、事態の収束に更なるスーパーナチュラル要素たる奇跡(機械仕掛けの神ならぬ、機械仕掛けの雨だ)を導入せざるをえなくなる体たらく、無計画に程があります。
 もっとも、配達人をうるさいほど出さないと、今回の話がただの中学生日記だということばれてしまうので、そういう意味ではかれらは作品に必要不可欠であったのかもしれない。てゆーか本末転倒?

 そういえばこれまた昔、機動戦艦ナデシコというアニメで生地が平凡な出来であるのを大量の添加物を使ってごまかす駄目なピザ屋が出てくるエピソードがあったけど、あのアニメの監督は誰だったかしら。まさか駄目なピザ屋を描いた人が駄目なピザ屋になってるってことはないと思いますが……。