第二話

 良くも悪くもべたべたな話。ひらたくいって水戸黄門なのである。ただしこの場合の「印籠」は権力ではなくて、ラゼルの「正論」が裏書になっているわけだが。破天荒というよりは王道なわけだ。
 で、そういう話であるので、「人徳で」拳銃が押収されてなかったり、何十人もの守衛に銃を突きつけられていてもカットが変われば全員戦闘不能になっていたり、魔法といえばなんでも許されると思っている気配があったり、わざと置いてあるんじゃないかと疑ってしまうぐらい都合よく少年の父親の遺品が転がっていたりしても、問題なし、なのである。可愛い黄門様と二人のお供がびしっと大見得を切れさえすれば、後は野となれ山となれ。この話にそれ以外を求めるのは、スターウォーズにリアルな科学考証を期待するようなものだ。
 もっとも、この手の、ある意味必勝が約束されてるフォーマットというのは、逆説的に、それ自体が欠点になりうる――なぜなら、九十パーセントはワンパターンで許される時代劇(残りは第一話と最終話である)と違い、ある程度は変化をつけていかざるをえないからだ。黄金比は崩すのは簡単だが、崩してなお綺麗な形にするのは難しいのである。それは元の形が綺麗であるほどハードルは高くなる。エロゲーギャルゲー系の萌えアニメがシリーズ後半でへんてこなシリアスに走って見るに耐えないものになるのは、たいていその辺で作り手が自らの力量を測り損ねた結果であることが主なのだし、これだってまあ、萌えアニメなわけである。見る人の嗜好によって、ラゼルに萌えるか、クルツ君&薬売りに萌えるか、三人の関係性そのものに萌えるかは変わってくるのだろうけど。
 とりあえずは現時点では、安心安心、である。