第十二話まで

 高河ゆんガンダムというよくわからん組み合わせ、しかも脚本は個人的には「見逃してもまったく後悔しないどころか関わっていたら積極的に見ない方向でいこうと思うライター」最右翼の黒田洋介という、これで肯定的な評価が出たらおかしいぞという企画ではあるのですが、監督が水島精二であるとか、大河ものもたまには見たいとか、高河ゆん自体は嫌いではないとか、根がミーハーであるとか、いろいろな要素が兼ねあって、毎週欠かさず見ていたりするのだった。
 で、内容はというと……ううむ、こういう展開にするとつまらなくなるのだなとか、段取りをきちんと考えて物語を進行させることの大切さとか、300年後という微妙に遠い未来を設定することの難しさ(いまだ映像記録媒体が「テープ」だったり、石油が枯渇してそうなのに「輸出規制」で紛争勃発――どこと戦ったのか知らんが――したり、など)とか、物語に大切なのは設定の複雑さではなくて、設定をいかに活かすかだということであるとか、書き言葉と話し言葉のそれぞれの短所をよくクローズアップしてるなあ(読んで解りやすいのが聞いて解りやすいとは限らない、あるいは、キャラの発する言葉としては自然でも、その意味内容が視聴者に伝わるとは限らない)とか、キャラクターを「立てる」ことの大切さとか、批評的な意味でとてもためになる番組であると思います。いや嫌味でなくて。
 たとえば、第一話におけるメインであるガンダム襲来シーンを思い出していただきたい。軍事的なイベントに無認可の飛行兵器が来ていること自体、非常事態であるのに、ましてや、ミノフスキー粒子的なものの存在が認知されてない世界において、それにも関わらず「レーダーに映らないロボット」が出現し、しかも政府要人もいる場所に堂々侵犯してくるという、とんでもない状況なのだけど、この世界においてはこの時点ではレーダーに映らないことが異常であるという基本的なことすら脚本家が忘れているのか、皆さん対応がわりと普通である。のんびりサイレンを鳴らしている場合ではないはずなのだ。これは、内容的に論理的でないというだけでなく、作劇的にも、あの世界におけるガンダムという存在の位置づけを印象付けるという基本的な段取りの失敗を意味していて、その後のこの作品のどうにもならない盛り上がらなさの要因となっているともいえる。棒立ちの敵をすぱすぱ切ったり、キャラクターが次々と申し合わせたように意味ありげなせりふを口走るだけで「ガンダムって凄い」と思ってくれるような人は、「ガンダムって凄い」と思いたがっている人だけだろう。

テーマの面でも、ソレスタルビーイングという世界の警察的なテロリストをキューにして、戦争と平和というものを描き出そうとしているのはわかるが、大いなるゼロサムゲームというわりに世界はそこそこ平和に機能しており、戦争の危機を実感できないので、そもそもドラマとして対比構造が成立しておらず、あるいは、現実世界での「世界の警察」がそうであるような「戦争を止めるとする組織自体が戦争の源」といったパラドキシカルな構図をあぶりだすひねったコンセプトであるとしても、そういうテーマを描く際の命綱ともいえる「ソレスタルビーイングの戦争」の描写があまりに浅薄(荒地にテロリストがアジトを作ってるとか、ちょっと介入したらIRAがいったん休戦するとか)なため、ソレスタルビーイングの世界における立場がいまだ見えてこないので話にならない。もしかすると、ソレスタルビーイングの何がしたいのははっきりしないことと作品そのものが何をしたいのかわからないことを重ね合わせるという、メタな作劇を意図しているかもしれないが、それは意図がわからないということの確認作業でしかなく、つまるところどんな視点で見ても、物語としての「ガンダム00」は、なんら主張を表明するレベルに達していないのである。

作品的には、毎回毎回面白いぐらいに突っ込みどころを用意してくれているので、ある意味飽きないつくりではあるのですが……。