第一話「さよなら絶望先生」

ついにアニメ化である。嘘記事を書いたのが、今となってはなつかしい。
期待よりも不安がいっぱいの状態でテレビの間に座り込んで三十分。
 どうだったかと言うと――


 絶望した! 「さよなら絶望先生だっしゅ」でもない「さよなら絶望先生!?」でもまったくない、ほとんど理想的なアニメ化に絶望した! これでは原作者の人生のモチベーションの重要な要素が要素が消滅してしまうではないか!

だってさ、新房昭之監督に金巻兼一脚本といったら、ネギまとかネギまとか地獄少女後半とかネギまとか素晴らしいまでに絶望的な話を作った人たちなわけで、これもその轍を踏まない保障が果たしてあっただろうか、いや無い。ぱにぽにネギまで良くも悪くも腕を振るいまくった大沼心が参加してないのが、むしろよかったのかしら。

 とはいえ無個性というわけではまったくなく、原作漫画を知らない人が見たら、目がちかちかする色彩、枠線なしのカット、演劇的なリアクション、実写、強引であざとすぎでむしろ嫌がらせのようなお色気、本編シーンより凝ってたりするパロディ(金曜ロードショーとかオリジナルとは異なりなぜかヴァンゲリスふうのBGMとか)、光量過多、そして黒板の落書き、それも今回は原作者に書かせるというファンサービスにして落書きに食傷気味の人間をも黙らせる裏技バージョン(*1)――と、どこをとっても新房アニメにしか見えないだろう。冒頭と中間で使われた久米田プロ制作の「アニメーション」ですら、そのネタの一環に見えるぐらいである。それぐらい新房テイストと久米田テイストがシームレスに融合しているのだ。エンディングのレトロな昭和歌謡路線なんか、ぱにぽにでもやっていたものだが、今となってはむしろ本作への準備段階のようにすら見える。

 もっとも、原作ファンとしては原作では絶対無理な総天然色の絶望先生とその生徒たちがたっぷり見られるだけでもよかったりする。あの大正〜昭和初期なビジュアルはたまにあるカラーページと単行本の表紙だけでは物足りなかったわけで。
 
 ただし、大槻ケンヂNARASAKIのコンビという実質特撮(*2)の新曲であるOP「人として軸がぶれている」の出来はがっかり。気合の入らない歌唱に、養殖臭漂う「おれは変人」な歌詞、曲もインパクトに乏しく、もうまったくおもしろくない。そもそも特撮自体筋少後期の大槻の迷走というか劣化をずるずると引きずっただけの微妙なグループだったので、期待するほうがおかしいのかもしれないが、前作「踊る赤ちゃん人間」がそこそこ聞ける曲だっただけに、これは哀しいものがある。復活筋少の新作は、いまから絶望しておいたほうがいいかもしれないなあ。



(*1)地上波アナログで画面が小さく、ソフトフォーカス気味の画面のせいでよく読めないのが玉に瑕だが……。いや、 作者を差し置いてテレビデビューしたアシスタントの前田くんによる過剰なガードの排除(ネタでやっているところもあるから外れないのもありそうだが)も含めて、DVDを買えってことか? 絶望した! テレビ放映が販促でしかない番組作りに絶望した!
(*2)ピアノも三柴理である。