第九話

 昔NHKでやってたマックスヘッドルームという海外ドラマで汚職した社長について、電子生命のマックスがこんなジョークを飛ばすシーンがある。

「ではクイズを一つ。社長はいつ、嘘をついたか? 答え――喋ったとき」


 今回見ていて、まず思い出したのがこれでした。
このアニメの所長はこれを地でいる、と。
冒頭、しれっと嘘をつく辺りでなんかもう殺意が。ゆかりは安川や中華コックにでなく、所長の頭に中華料理をぶつけるべきであった。いや、生卵をぶつけて故郷に帰るべきであった。
しかもひどいのは所長だけでないのが、このアニメの救いのないところで、とくに医学主任が腐っている。彼女は謝るどころか居直り、こんなことをいう。

自分らが嘘をついていたのは、仕方ないことだった。というのも、本当のことをいったら、ゆかりたちが反対したり、陰で協力したりするだろうから

 嘘をついたり騙したりということが「悪いことである」という小学生でもわかりそうな認識が欠落していることもさることながら(木下とメカニックの人は、謝ることができたという点で、いくらかましだ)、ゆかりたちを説得する、という選択肢が存在しない辺りに、この人の人間性がよく出ていますね。
ゆかりたちには「それ(ゆかりたちが踏破試験に反対したり、密かに協力したりすること)は茜ちゃんを信じてないことになるんだけどね」とかわかったようなことをいっておきながら、自分らはゆかりたちを「説得すればわかってもらえる、それだけの知力、理性はある」とはまったく信じていない、ダブルスタンダードな思考回路が素晴らしい。パイロットの判断力を信じない地上スタッフというのは、パイロットにとって自分の生命にかかわる活動の指揮を任せるに当たり信じるに値するのか、非常に疑問である。というか、駄目だろ。
この基地のスタッフの多くの精神構造は基本的に『アポロ13』のそれではなくて『カプリコン1』のそれであるのだが、誰もそれに突っ込まないという、このとの異常(*)。
とまれ、ロケットガールたちはいずれとても重要なトラブルを隠蔽したまま宇宙に飛ばされたりするに違いない。そして、そのの失策自体を隠蔽するために、ゆかりはライカ犬のように、宇宙で見捨てられるのである。この基地のスタッフの多くの精神構造は基本的に『アポロ13』のそれではなくて『カプリコン1』のそれと近い(*)。
猿でもできる仕事、というのは、彼女らの価値は猿程度なのだ、といういう彼らの価値観の遠まわしな表明であったというわけだ。いやはや、最悪な組織であることである。
見方を変えると、そういう、都合が悪くなるととりあえず隠す、捏造する、特に子供相手にはいくらでも嘘をついて恥じることがない――という隠蔽体質で腐りきった組織の醜さ、「大人」の薄汚さを描いて秀逸、ということでもある。とくに終盤、医者が急に茜の体調を心配してみせても、本質的にそういうキャラではないと前回たっぷり見せつけられたあとであるため、一見すると彼女にも人間的な側面があるようにみえるような場面が展開していても、そこになんらかの打算があるとしか思えないような仕掛けになっているあたりの計算の行き届きぶりはすばらしい。これはもちろん、シナリオライターが違うせいで話が食い違っているのではなく(前回は中村融、今回は中瀬理香)、むしろ見事な連携作業というべきであるだろう。
しかし、わからないのは、なにゆえこんなにがんばって不快な話を作っているのかということである。所長や医学主任にちゃんと謝らせる、あるいはゆかりに生卵を彼らにぶつけさせる、といったことをやるだけで、話の雰囲気はまるで変わる。カプリコン1からアポロ13になるのだから。このアニメのスタッフはチャレンジャーの集団なのだろうか。そんなに努力とか友情とか信頼とかが嫌いなのだろうか。

(*)念のために書いておくと、カプリコン1とこの作品とには、内容的な類似はほとんどない。